ロックとともに50年…これからもロックを愛し続ける
その頃、私は新宿ロフトを無理やりオープンさせ、大借金で手持ちの運転資金が底をつき、そのレコード会社におんぶに抱っこ状態。
しかも、レコード会社からは、彼らのロックへの無理解もあって「売れない」ことをバカにされる始末。彼女をロフト・レーベルにキープできず、他社に持っていかれてしまった。
チーフプロデューサーの牧村憲一さんも、彼女の豊かな才能を高く評価して78年には、アルバム「ロフト・セッションズ」をリリース。竹内まりやさんの素晴らしい歌声が収録されている。返す返すも残念だった。
3番目は……やはり群馬・高崎の不良新人バンドBOØWYである。
このバンドには、本当にまったくの新人時代から付き合った。苦労に苦労を重ねて成立していったバンドだったが、いつもバンド内に不協和音が鳴り響き、絶え間なく解散の噂が流れていた。
何度もトラブルに遭遇し、何度も呆れ返り、「バカ野郎! 解散なんか考えないでBOØWYの旗を高く掲げることだけを考えろ!」と怒鳴ったこともあった。