キンプリ永瀬廉主演「法廷遊戯」は司法制度の問題点を照射した秀逸な人間ドラマ
名作法廷劇の系譜に足跡
裁判を巡る人間の愛憎を扱った映画は数知れないが、判決後に明らかになった真相の衝撃という点では何と言ってもビリー・ワイルダー監督「情婦」(1958年)が頂点だろう。原作はアガサ・クリスティ「検察側の証人」。ロンドンの殺人事件裁判で決定的な役割を果たす被告人の「妻」をマレーネ・ディートリヒが演じる。エンドロールで流れる「結末を人に教えてはいけない」という元祖ネタバレ禁止ルールは今なお受け継がれるお約束だ。
シカゴ大司教殺害を巡る裁判劇を描いた「真実の行方」(グレゴリー・ホブリット監督、1996年)も見逃せない。同じ「どんでん返し」法廷映画でも、こちらはもうひとひねり加わった傑作。驚くことに被告人役エドワード・ノートンはこれがデビュー作で、弁護士役リチャード・ギアをかすませる超絶演技を見せつけ衝撃を与えた。フランシス・マクドーマンドやローラ・リニーといった芸達者が脇を固めており、こちらも必見だ。
無辜が処罰されるのが冤罪だが、冤罪の裏には処罰されぬ罪人がいる。あるいは罪人が処罰されるとしても、罪と罰の均衡が貫かれるとは限らない。アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」やビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」といった小説が繰り返し映画化されてきたのは、「人間の生」と「罪」と「罰」とが織り成す弁証法に綻びが生じる瞬間にこそ、刮目(かつもく)すべき人間劇が生まれるからだ。映画「法廷遊戯」はそうした人間劇の系譜に確かな足跡を残したようだ。
(映画評論家・北島純=社会構想大学院大学教授)