【東京佐川急便事件】異聞(1)バブル崩壊で開いたパンドラの箱
「兜町の錬金術師」小谷光浩の暗躍
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当時の経済事件シーンで最も目立っていたのが「兜町の錬金術師」と呼ばれた仕手集団「光進」代表の小谷光浩だった。
1937年、大阪府生まれ。同志社大卒業後、大和証券勤務を経て、70年に不動産販売会社「コーリン産業」(その後、光進に商号変更)を設立。まもなく東京に進出し、80年代には折からの土地ブームに乗って都心一等地の地上げで大儲け。東証2部上場のエレクトロニクス部品商社「協栄産業」株を買い占めて仕手集団のリーダーといわれるようになった。
小谷は上場会社の株を買い占めて役員になり、その影響力を行使して融資名目でその会社からカネを引き出し、次の獲物となる上場会社の株を買い占めるなどの手法で、航空測量の老舗「国際航業」や「蛇の目ミシン工業」「藤田観光」など企業の株式を次々と買い集めていた。 =つづく