トランスジェンダーの選手が初の五輪代表に 「その枠」は本当に必要か
東京五輪にトランスジェンダー初の五輪代表として出場する選手が注目を集めている。ニュージーランド重量挙げ女子87キロ超級のローレル・ハバード選手(43=出生時の名前はギャビン)だ。今五輪からテストステロンの抑制など国際オリンピック委員会(IOC)が定める基準と規定を大会1年前から満たせばトランスジェンダーの参加も認められることになり、ハバード選手がその"第1号"となった。
ハバード選手は2013年に性別適合手術を受けるまでは男性として重量挙げで活躍していた。そのためハバード選手と競わなければならない女性選手からは、「この特殊な状況はスポーツとアスリートにとって不公平だとわかるはずです」「思春期から35歳までの20年間を男性ホルモンシステムのもとで生きたことが、女子スポーツにおいてどれほど有利になるか、なぜいまだに問題になっているのでしょうか?」いったと悲痛ともいえる声が上がっている。
ネット上でも<これで世界記録が出ても、素直によかったねと言えないかも><トランスジェンダーではない人達への差別に値するのでは?>と否定的な声が多い。
ハバード選手と同じ立ち位置の、トランスジェンダー側の意見はどうだろうか? ジムトレーナーとして活動するAさんに話を聞いた。Aさんは女性として生まれ、男性に変わること検討している
■生まれもった骨格や筋力の差を埋めるのは難しい
「トランスジェンダーで戸籍を変え、いくらホルモン注射を継続されていたとしても、本来の骨格や筋肉のつき方など身体的な区別はどうしても男女二択のどちらかになります。なので特に今回のハバード選手の場合、男性として成長期を終えたあとにホルモン注射を開始しているとなると、余計に元々女性の方との身体的区別を埋めることは難しいのではと思いました」
特に骨格や筋力が大きく作用する重量挙げという競技では、男女の体格差が大きく影響を与えることは想像に容易い。トランスジェンダーの人も、トランスジェンダー以外の人もどちらも公平さを欠かない選択肢はあるのだろうか?
「個人の筋力が直接的に影響する個人競技ではなく、一人一人の筋力やその他の体力要素を混合に必要となるチーム競技であれば、この問題も緩和されるのではと思います。そもそも、トランスジェンダーという性には、戸籍を変えなくてもホルモン注射をされる方もいるため、今後ドーピングの問題も出てくるはずです。この問題も加えるとなると、もしかしたらトランスジェンダーのみを対象にしたスポーツ枠も必要になると思います」
■社会的な性差と肉体的な性差を埋めることは意味合いが異なる
この件で真っ先に浮かんだのは、時折議論になることもあるが、「差別」と「区別」のボーダーラインがどこにあるのか?ということだ。そもそもトランスジェンダーの”最たる生きづらさ”は一体どこにあるのか?
「あくまで私個人の思うことですが、一番は、個性よりも性別が先に判断基準や対象基準となってしまうことに対してです。公共の場で言えば、トイレや更衣室、正式な書類の性別欄などは、まだほとんどが男女の二択のみ。この性に関する選択の自由があまりにも少なすぎると感じますし、不便に思うことは多々あります。だからこそ性別にとらわれず個性を尊重し合えるようなジェンダーフリー、ジェンダーニュートラルといった考え方が世界に浸透してもらえば、トランスジェンダーだけでなく男女の生きづらさも解消できるのではないかと思います」
社会的な性差を埋めることはトランスジェンダーの生きやすさに繋がっていると感じるが、肉体的な性差を無視してトランスジェンダー側のみの主張を強行するのは、トランジェンダー側へのヘイトを生んでしまう可能性もあり、他のトランスジェンダーにとっても望ましい展開ではないと感じる。
性差によって傷ついてきた立場の人が、性差によって人を傷つける可能性もあるという一例になってしまわないことを心から願っている。
(取材・文=水野詩子/ライター・コラムニスト)