鬼澤信子プロは「生涯現役」を掲げ最年長優勝記録にチャレンジ
鬼澤信子プロ(51歳)
「生涯現役」を掲げる鬼澤信子プロ(51)。
今年7月にこだまGC(埼玉)で行われた「日本女子プロゴルフ選手権」予選会で3アンダー・69をマークして6位となり、上位8人までの本戦出場権を獲得。9月9日開幕の公式戦メジャー(静ヒルズCC・茨城)で4年ぶりにレギュラーツアーに出場する。
「予選会では上がり2ホールをバーディー、バーディーで突破しました。本大会でも(50歳で全米プロを制した)フィル・ミケルソンを目指して頑張ります」
猛暑の中、持ち前の“やる気オーラ”を携えて現れた鬼澤は目鼻立ち、肌つやが年齢を重ねても変わらず、「一応プロゴルファーですから」と体形も20代の時と同じだ。
「日本女子プロの目標はもちろん優勝、当たり前です」
いくつになってもエネルギッシュで、ツアープロの信条は揺るがない。
ステージこそ違うが、6月の「JLPGAレジェンズチャンピオンシップCHOFUカップ」でも福嶋晃子(48)と優勝を争い2位だった。
国内女子ツアー最年長優勝記録は岡田美智子(76)の50歳312日。鬼澤が日本女子プロに勝てば「51歳360日」となり記録を塗り替える。
8月の全米女子シニアオープンではプロ同期で2歳上の斉藤裕子(53)が4位に入った。
「私も行きたかった。予選会から本戦に進んで、優勝したアニカ・ソレンスタムと勝負したかった。今年はコロナ禍で書類や検査などの準備が複雑だったので断念しました。来年は挑戦したいです」
今秋も来季のレギュラーツアー出場をかけてQTに出場する。
ダイナミックなフォームでドライバー飛距離は平均250ヤードの飛ばし屋として知られ、かつてドラコン大会の常連だった。最近は、「それなりですかね。飛距離はちょっと落ちています。コロナ禍でトレーニングも滞りがちだから、筋力が減ってドライバー飛距離は平均220ヤードぐらい」と言う。
51歳になり練習も工夫を取り入れている。朝の散歩で階段を上り下り。ジムでのウエートトレーニングを入れ、練習場での打ち込みは1日200球ぐらい。
「コースラウンドは週に1、2度は必要。たまにアマチュアと一緒にレッスンラウンドもしますが、あくまでもツアープレーヤーとしての練習ラウンドがメインです」
現役を長く続ける体力・気力はさすがだが、本人は「そうですか?」といたって素っ気ない。
40歳346日での初Vはトラブルを救ってくれた“ご神木”のおかげ
幼いころから身体能力に優れ、スポーツ万能だった鬼澤信子(51)。
中学を卒業する1984年初めはテレビ中継もあった華やかな女子プロレス人気が絶大だった。体力にも自信があり、女子プロレスラー選考会を受け、1000人の応募者の中から最終選考の30人に残った。
だが鬼澤の進路は家族会議の末、プロレスラーではなくプロゴルファーと決まり、那須小川GC(栃木)の研修生になった。
ゴルフと初めて出合った当時を振り返る。
「私たち昭和世代は『技術は見て盗め』と言われて育ちました。最初はゴルフのことを何も知らない。グリップから始まり、スイングは男子研修生を見ながら覚えた自己流。運動神経には自信があったので、飛ばすことは良かったのですが、小技やパッティングは自分の感性で磨くしかなかった。まさに粗削りでした」
ジュニア時代からゴルフに接するという今とは環境がまるきり違った。
プロテストに合格し、20代は予選会からのツアー出場が続いた。そこで出会ったのが人気、実力とも憧れの存在だった中野晶(58)だった。
「中野プロとの出会いが私にとって一番大きかった。いろいろなことを教えてもらい、先生みたいな感じ。容姿や雰囲気も似ているといわれ、晶さんが優勝した時など、私宛てに祝福メッセージが来ていたこともありました」
中野に見守られながら、鬼澤も20代後半から年に数試合は、「“当たり大会”があった」と優勝争いに加わり、30歳になった2000年シーズンに賞金ランキング23位で一気に初シード入りを果たした。
「30代になってゴルフが少しずつまとまり、ゴルフのことがちょっと分かってきたんですね。(50代の)今はだいぶいい感じ。ゴルフが面白いですね」
競技人生の最大のスポットライトはなんといっても10年「ニトリレディス」でのツアー初優勝だ。
桂GC(北海道)で行われ、優勝争いは金ナリ(韓国)とのプレーオフになった。1ホール目の18番パー4で鬼澤の放った第2打は左の林に向かったが、白樺の木に当たって高く跳ね返り、グリーン前の花道に落ちた。
そこからパターでピン手前2メートル弱に寄せ、「真っすぐなライン」のしびれるパーパットを沈めて歓喜のシーンを迎えた。
「勝つときにはみんな運があるんですね。ボールが当たった木は私にとって“ご神木”です」
40歳346日でのツアー初優勝は歴代年長3位、自身463試合目での初優勝は歴代最多試合数記録だ。
当時の優勝インタビューで、「これからの私を見ていてください!」と名コメントを発した。
そして「今もその気持ちを持っています」と話す。
8度目の五輪出場を果たした46歳のオクサナに感銘
「生涯現役」を掲げ、シニア年齢になってもレギュラーツアーへの復帰を目指す鬼澤信子(51)。
ゴルフや日常生活のテーマはバランスだ。
「やはりバランスが大事ですね。人生はバランスですから」
いま、柿沼浩ティーチングプロ(60)の指導を受ける。
「柿沼プロに見てもらうことは大事ですが、身に付いたスイングや感覚は変わりませんね」
2010年「ニトリレディス」でツアー初優勝。40歳の時だ。しかし、どんなにケアしてもプロにケガは付き物だ。翌年4月に腰痛(椎間板ヘルニア)を発症し、公傷制度によって治療に専念した。
その甲斐あって、翌12年から現在に至るまではケガと無縁、体に問題はない。
「体調管理はそれほど厳しくはしていませんよ。普段の生活の中で、食べたら動く。ほどよいお酒は飲みますよ、私の“プロテイン”ですから。食べて飲む。好きなものをバランスよく食べ、食べ過ぎた翌日は豆腐とか納豆で終わりとか。試合に行ったら、全国各地で旬なものをいただいてお酒を飲みたいですね。それは今も昔も変わりません」
東京五輪をテレビ観戦しながら、最も刺激を受けたのは、ゴルフ選手ではなく体操選手だった。
史上最多8度目の出場を果たした46歳のオクサナ・チュソビチナ(ウズベキスタン)だ。東京五輪を最後に現役引退を表明し、演技後には選手やスタッフ、メディア関係者も立ち上がって送別の拍手を送った。そのシーンに感動した。
「最後に回転技を見せて、総立ちで拍手喝采。彼女が言った『体操を愛しています』の言葉。それでしょ!」
まさに我が意を得たり、だ。
「私も結局、ゴルフが好きなんじゃないですか。私にとってゴルフとはいい意味で“くされ縁”なんですよ。ゴルフに出合ってよかった。嫌だって思う時も、クラブを握りたくない時もあったが、結局はやっています」
現役生活30年間で鬼澤のざっくばらんな性格は女子プロゴルフ界に浸透している。後輩プロたちの人望も厚い。
レギュラーツアー復帰が実現した際のプランも思い描く。
「全試合出場はさすがに厳しいので、スポット参戦で優勝を狙う。それが目標です」
まずは9月9日開幕の「日本女子プロ選手権コニカミノルタ杯」(茨城・静ヒルズCC)に注目だ。
(構成=三上元泰/フリーライター)
▽鬼澤信子(きざわ・のぶこ)
1969年9月17日、東京都出身。90年10月プロテスト合格(62期生)。ツアー参戦10年目に30歳で初シードを獲得。10年「ニトリレディス」ツアー初優勝。40歳346日での初優勝は歴代年長3位。16年からレギュラー、ステップアップ、レジェンズ各ツアーで出場機会を求め、レジェンズツアー4勝。並行してツアーQTにも挑戦し続け、今季は日本女子プロ選手権の予選会を突破、4年ぶりにレギュラーツアー復帰を決めた。身長170センチ。