「地図バカ」今尾恵介氏

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「地図バカ」今尾恵介氏

 街中で紙の市街地図や道路地図帳を広げている人を見かけなくなった。道行く人はもっぱらスマホ頼りだ。もはや紙地図は忘れ去られた存在なのか──。

 本書は、中学生のとき紙の地図に引き寄せられた著者が、以来半世紀にわたり収集してきた地図の中から約100図版を厳選し、その魅力について存分に語っている。

「大正から昭和の戦前期にかけて出回っていた鳥瞰図という地図があります。高所から地上を見下ろしたように描いた図で、決まった縮尺はありません。この時代に活躍した鳥瞰図絵師の吉田初三郎は私鉄の沿線案内図などを多く手掛けましたが、これがなかなか面白いんですよ」

 昭和5年ごろ発行された「京王電車沿線名所図絵」。沿線にある総合レジャーランドが誇張され巨大に描かれている。

「彼の鳥瞰図は縦15センチ、横50~60センチほどで屏風折りになっています。背景には富士山を配して開放感を出しています。遠景には、ハワイやサンフランシスコまで描かれているんです」

 なんと、東京の新宿から八王子方面に延びる鉄道の沿線図で、レジャーランド内のメリーゴーラウンドと富士山とサンフランシスコが同一図面に描かれているのだ。なんともスケールが大きくてちょっと笑える作品だ。

「この時代、観光がはやってきましたが、一般の人は地形図を見慣れていません。実用的とは言えませんが、沿線をイメージできる鳥瞰図は分かりやすく、世のニーズにぴったりだったんですね」

 昭和3年に発行された観光地・京都の「大京都市街地図」もユニークだ。

 我々が普段見慣れた地図では、北が上で、東海道線が左右に走るが、同地図では東山を仰ぐ形で東が上になっており、東海道線は上下に描かれている。また当時は上京区、下京区だけだった。

「地図は必ずしも北が上である必要はないんです。国土地理院の地形図は統一規格で北を上にしますが、市街地図は各地でふさわしいものを選んでかまわないんです」

 著者は地図の他に時刻表も収集しており、そこから意外なことも読み取れる。

「大正時代に難波から堺方面に向う南海鉄道で、朝刊を沿線の販売所に届けるために夜中の2時と3時15分に“新聞電車”なるものを走らせており、一般乗客も乗れたようです。難波や道頓堀で遅くまで飲んでも安心だったでしょうね」

■古今東西の“お宝神地図”100図版

 紙地図を愛してやまない著者は、その魅力をこう語る。

「古地図の印刷紙は劣化していますが、そこにその時代と土地の空気が閉じ込められていて伝わってくる気がするんです。地図を眺め、何かを発見する、その味わいが面白い。紙地図との出合いは一期一会なんです」

 ほかにも、東西0.4ミリ×南北0.3ミリの絶海の孤島だけがぽつんと描かれ、あとはすべて水色(海)となっている地勢図(昭和10年製)など、古今東西の珍しいお宝が満載だ。

「人間は頭の中に作り付けのナビがあり、地図を見て目的地を探して歩くという行為によって常に訓練されるようです。これがなくなったとき脳の中で何が起きるのでしょうか。古本屋で紙の地図を購入して、昔と今の地域がどう変わったか比べてみると楽しいですよ」

(中央公論新社 990円)

▽今尾恵介(いまお・けいすけ) 1959年横浜市生まれ。地図研究家。一般財団法人日本地図センター客員研究員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査などを務める。「地図マニア空想の旅」「日本200年地図」「駅名学入門」など著書多数。

【連載】著者インタビュー

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