「ニュータウンクロニクル」中澤日菜子氏
都市部の人口と世帯増加の受け皿として、1970年代初頭にピークを迎えたニュータウン開発。若いサラリーマン世帯を中心に入居が進み、小学校はマンモス校と化し、美しく整えられた街で何不自由なく豊かな暮らしが続くはずだった。
本書は、そんなニュータウンを舞台に、この街で生きる人々を50年という長いスパンで描いた、全6章からなる連作短編小説だ。
「私自身もニュータウン育ちですが、実はあまりいい印象がなく、人工的で遊びが足りなくて、個性のない街だと長い間思っていました。生活に必要なものは過不足なく揃うけれど、そうでないものは何もない。例えば、スナックや風俗営業店はもちろん、子どもの社交場である駄菓子屋もありませんでした。長い歴史や独特の文化を持った他の街が、羨ましいとすら感じていたんです」
ところがあるとき、福島県小名浜にある醤油の蔵元で生まれ育った友人に、こう言われる。
「古い街で育った自分としては、急激に生まれて拡張したニュータウンほど面白い場所はないよ」
その言葉が、改めて自分の故郷を見直すきっかけになったという。人の暮らしの周りに少しずつ形作られていくのが街というものだが、ニュータウンは違う。“何年何月何日にできた”と言える街は、ニュータウンだけだ。
「昨日まで野山だった場所をブルドーザーで切り崩し、そこに忽然と近代的な住まいが立ち並ぶ。奇妙かつ新鮮なこの街では、他の街よりも時代の変化が強く影響し、住民の人生にも鮮明なドラマがあるのではないかと考え、今回の群像劇を書き上げました」
第1章の舞台は1971年の若葉ニュータウン。生まれたてのこの街で元地主の両親と暮らす役場勤めの小島健児は、“旧住民”とのあつれきに巻き込まれながら、“新住民”による市民運動に従事する人妻の春子に恋をする。80年代に入る第2章では、マンモス校となった小学校に“外部”からやってきた転校生が、事件を巻き起こす。
やがてバブル期に入り、健児の叔父の義行は株でもうけるものの、時代の変化に取り残され、夫婦関係も親子関係も破綻。2000年代に入ると街の活気は少しずつ失われ、巣立った世代は都心から離れたニュータウンには戻ってこない。年老いて独居老人となった春子に、娘の理恵子は引っ越しを提案するのだが……。
「ニュータウンといえば、もはや少子高齢化の象徴のようになってしまい、外から見れば廃れる一方のように思われているでしょう。私自身も、ニュータウンには戻りませんでした。しかし、春子のように、ニュータウンに残され“年老いた”といわれている世代は、実は私たちのようなノンポリ世代よりもずっと強い。男性は組合活動やストライキ、女性も生活防衛のための市民運動に参加するなど、“闘う力”が備わっていると思うんです。社会との接点を紡ごうとする人が暮らしているうちは、街はそう簡単には終わりません」
本作は、ニュータウンの終焉を描いた作品ではない。新しいニュータウンの希望を予感させる物語だ。ある取り組みを始めていた春子と、50年が経過して再び出会う健児との未来にも注目したい。
「人と街が対等に生き、壁にぶつかったり成長したりする変化がリンクし合うのがニュータウンの面白さだと、私自身も感じるようになりました。ニュータウン出身の方はもちろん、歴史のある街で育った方にも、この街の空気を感じてもらえたらうれしいですね」
(光文社 1600円+税)
▽なかざわ・ひなこ 1969年、東京都生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。出版社に勤務しながら劇作家として活躍。13年「お父さんと伊藤さん」で第8回小説現代長編新人賞を受賞し小説家デビュー。「おまめごとの島」「PTAグランパ!」などの著書がある。