おでん屋でコップ酒は演出…一滴も飲めなかった古関裕而
しかし、その頃は昭和恐慌が吹き荒れ、東京では失業者があふれていた。印刷屋などでアルバイトをして食いつないでいた野村は、難しい調理技術がそれほど必要なく、障壁の低そうなおでん屋に目をつけ、始めることにした。東京下町の入谷で「太平楽」という店を開いたのである。
江戸時代の後期の江戸では、酒も飲ますおでんの屋台が大流行していた。当時のおでんは具材を醤油、みりん、砂糖、鰹節などで甘辛く煮つけたもので、汁は少なかった。明治に入って、たっぷりのダシで煮る今の形になった。依然としておでん屋の人気は高かったが、関東大震災が起こると、大半の店は潰れてしまった。そうして競争相手が少なかったという背景もあり、ずぶの素人の野村でも、おでん屋を始めることができたのだ。
ドラマのおでん屋のシーンで明らかに、現実と違っているところが一点だけある。古山裕一がコップ酒を飲んでいるのだが、これはありえない。本物の古関裕而はアルコール類がまったく飲めなかったのだ。妻・金子は女性誌(「主婦と生活」1953年12月号)の中で次のように語っている。
「お酒は一滴も飲めません。奈良づけを食べても酔っぱらい、隣席の人が飲んでいるウイスキー紅茶にも頭がふらっとなるといった極端さです」
酒が飲めない古関は大の甘党。戦後ようやく、菓子類が出回るようになると、そうしたものを出す店に毎日、何度も通ったという。