平野悠
著者のコラム一覧
平野悠「ロフト」創業者

1944年8月10日、東京都生まれ。71年の「烏山ロフト」を皮切りに西荻、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン。95年に世界初のトークライブ「ロフトプラスワン」を創設した。6月、ピースボート世界一周航海で経験した「身も心も焦がすような恋」(平野氏)を描いた「セルロイドの海」(世界書院)を刊行。作家デビューを果たした。

シモキタ・ロフトで「ライブハウスの宿命」が身に染みた

公開日: 更新日:

 9月13日に「下北沢ロフト生誕45周年記念ライブ」が行われた。1975年12月。小田急線と井の頭線が交わる下北沢駅・南口商店街を抜けたところにシモキタ・ロフトはオープンした。忘れられない青春の日々。新たに勃興した音楽の波に背中を押されて「ロックの第一列にいたい!」という気概に満ちあふれていた――。

 どこかローカル色の漂っていた下北沢駅の周辺は、演劇の街といってもよかった。そんな下北沢に生息していた若者にシモキタ・ロフトは熱烈歓迎され、多くのミュージシャンたちの名演奏と伝説を持ち込んだ。今では下北沢に30軒ほどのライブハウスがあるといわれている。ロフトはそのパイオニアとなった。  

 烏山、西荻窪、荻窪、そして4店舗目となったシモキタ・ロフトは、店を構えて1カ月目にはブラック・ニッカのボトルキープが500本を超え、深夜になると店の前にタクシーの行列ができた。つい「これまでの苦労は何だったのか?」と言いたくなるほど何の苦労もせずに黒字になった。

 ☆ ☆ ☆ 

 ライブのブッキングも順調だった。関西系の上田正樹、憂歌団、山岸潤史、ウエスト・ロード・ブルース・バンドといったミュージシャンが、シモキタ・ロフトを拠点にしてくれた。しかし<ライブハウスの宿命>が身に染みたのも、ここシモキタ・ロフトだった。

最新の芸能記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1
    スッカラカンになって帰国のはずが…ラスベガスのカジノで勝った

    スッカラカンになって帰国のはずが…ラスベガスのカジノで勝った会員限定記事

  2. 2
    ミス・インターナショナル 特派員協会で「涙の訴え」のワケ

    ミス・インターナショナル 特派員協会で「涙の訴え」のワケ

  3. 3
    なぜ15大会のスポンサー企業は日本女子プロゴルフ協会に“抗議文”を送ったのか

    なぜ15大会のスポンサー企業は日本女子プロゴルフ協会に“抗議文”を送ったのか

  4. 4
    宮迫博之の地上波復帰また遠のく…チバテレ番組ゲスト出演のはずが、収録済みでもソデに

    宮迫博之の地上波復帰また遠のく…チバテレ番組ゲスト出演のはずが、収録済みでもソデに

  5. 5
    巨人阿部監督を悩ます原前監督の尻拭い…FA組と主力の過渡期でよぎる高橋由伸政権時の再来

    巨人阿部監督を悩ます原前監督の尻拭い…FA組と主力の過渡期でよぎる高橋由伸政権時の再来

  1. 6
    竹内結子さん急死 ロケ現場で訃報を聞いたキムタクの慟哭

    竹内結子さん急死 ロケ現場で訃報を聞いたキムタクの慟哭

  2. 7
    渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

    渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

  3. 8
    プロアマを“人質”にした協会の傲慢ぶりで伝統ある大会が消滅危機…3年前から続く対立構造の根本

    プロアマを“人質”にした協会の傲慢ぶりで伝統ある大会が消滅危機…3年前から続く対立構造の根本

  4. 9
    だれもが首をひねった 演技派俳優・古尾谷雅人の自殺の謎

    だれもが首をひねった 演技派俳優・古尾谷雅人の自殺の謎

  5. 10
    渡部建はキスなし即ベッド“超自己中SEX” 元カノ女優が激白

    渡部建はキスなし即ベッド“超自己中SEX” 元カノ女優が激白