植月正章
著者のコラム一覧
植月正章元アシックス営業本部長

1938(昭和13)年、鳥取県智頭町生まれ。57年オニツカ㈱入社、77年㈱アシックス推進部長、84年理事、88年取締役販売促進部長、93年常務取締役アスレチック事業本部長、99年専務取締役フットウエア営業本部長。2003年任期満了に伴い退任後、兵庫陸上競技協会会長、神戸市体育協会副会長、兵庫県体育協会副会長、神戸マラソン実行委員会会長、近畿陸上競技協会会長などを歴任。

<10>ロス五輪の競技直前、中村監督は瀬古利彦を迎えに帰国すると言い出した

公開日: 更新日:

 五輪の男子マラソンで思い出すのは瀬古利彦だ。1976年、早大に入学。師匠は多くの長距離選手を世界へ送り出した中村清さんだ。自身も早大時代に箱根駅伝を走り、1936年ベルリン五輪(1500メートル)にも出場。戦後すぐに早大競走部の監督になった。早大に入学した瀬古がマラソン2戦目の77年福岡国際で5位になったとき、初めて中村さんに挨拶をした。

 中村さんは鬼塚社長と親交があり、佐々木七恵、新宅雅也、金井豊など、「中村軍団」の選手はみんなオニツカの「マラップ」を履いていた。

 鬼塚社長はバイクの空冷式エンジンに着目。靴の指先部分とサイドに穴を開けて通気性を高めたことでマメのできにくい「マジックランナー」を開発。メキシコ五輪銀メダルの君原健二が愛用していた画期的なシューズだ。その後、シューズの素材が良くなり、穴がなくてもムレが少ない「マラップ」も長距離選手に人気だった。

 77年7月、オニツカとウエアメーカーのジェレンク、ジィティオの3社合併により「アシックス」が誕生する。瀬古は78年福岡国際から7戦6勝。瀬古の活躍は新会社の士気を高めてくれた。

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