“さすらいのフットボーラー”松井大輔が明かす フットサル転身への決断とコロナ禍の孤独
15歳で仏の名門パリSGに単身でサッカー留学し、2004年に同国ルマンへ移籍してから海外生活は足掛け12年に及ぶ。「逆に日本で住みにくさも感じた」とアッケらかんと言ってのける彼も、ベトナムでの未曽有の経験には戸惑ったに違いない。「ここで終わるのかな」と絶望的な気分になるのも頷ける。
ただ、松井大輔はそこで逃げる男ではない。
「いろんな国に行って、人や物事に触れることは絶対に人生のプラスになる。自分に合ったものを探していけばいい。自分が輝ける場所があるならば、どんな環境でもピッチに立ちたい」と語気を強めた生粋の挑戦者が、何の満足感も得られないまま、フェードアウトのような形でサッカー界から足を洗うことなど、やはり考えられなかった。
「ベトナムリーグ再開が2022年2月くらいになるということで帰国を決めました」と語ったように本人は、最後までベトナムに残るべきか、否かを迷い続けていた。
クラブ内権力闘争の余波で「戦力外通告を受けた」と事実ではないことを報じられたり、日本人同僚の高崎寛之(元浦和)が一足先に帰国を決めるなど、現地では一筋縄ではいかない事態が続いたが、基本的にはベトナム挑戦続行の覚悟を持っていたはずだ。