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小倉清一郎元横浜高校野球部部長

1944年(昭19)6月16日、神奈川県横浜市生まれの71歳。横浜―東農大を経て三菱自動車川崎―河合楽器で捕手として活躍。現役引退後、東海大一(現東海大翔洋)―横浜―横浜商―横浜で監督、部長を歴任。松坂、成瀬、涌井、筒香ら多くのプロ野球選手を育てた。98年の春夏連覇を含め、3度の甲子園優勝。渡辺前監督を支える名伯楽として主に技術面を指導した。対戦校の投手陣や打線の戦術分析に定評があり、名参謀と呼ばれた。14年夏限りで横浜のコーチを退任。現在は山梨学院や熊本・城北など、全国の各校で臨時コーチを務める。

“100のセオリーとプレー”…甲子園で勝ち切るために繰り返した守備と走塁練習を公開

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 打球が三遊間を抜けても二塁走者がスタートを切れずに三塁止まり。逆に遊ゴロ、もしくは三ゴロなのに、抜けたと思った走者が走ってしまい、三塁で封殺されるのは痛恨のミスである。

 塁間は27.431メートルで、二塁走者のリードは約4メートル。第2リードも4メートルは取りたい。そこから10メートル先、つまり二塁ベースから18メートル、三塁ベースから10メートルの位置が三遊間のど真ん中だ。打球の強弱によって変わるものの、この距離感を体に叩き込むことができれば、勝利に近づく。

 2021年夏。山梨大会準決勝で富士学苑に敗れた。長打が出れば逆転サヨナラの九回1死満塁の好機で、当時1年生で三塁走者だった進藤天(現主将)が牽制で刺され、そのまま試合終了。走塁の重要性が身に染みている選手たちが、今センバツでは甲子園を駆け回り、「足」でも相手にプレッシャーをかけた。

 高校野球100年の歴史で春夏連覇は7校(8度)しかない。横浜の部長時代、センバツで優勝しながら、夏は勝てなかったことがある。これは選手の油断や過信が一番の要因だ。これが夏への最大の障壁となることを忘れないで欲しい。

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