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平野悠「ロフト」創業者

1944年8月10日、東京都生まれ。71年の「烏山ロフト」を皮切りに西荻、荻窪、下北沢、新宿にロフトをオープン。95年に世界初のトークライブ「ロフトプラスワン」を創設した。6月、ピースボート世界一周航海で経験した「身も心も焦がすような恋」(平野氏)を描いた「セルロイドの海」(世界書院)を刊行。作家デビューを果たした。

弾き語りのハマショーに関心寄せる音楽関係者はいなかった

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 なかなか良いバンドだと思っていた。でも、レコードデビューした年の9月、ハマショーは愛奴を脱退。とてもビックリしたことを覚えている。76年になるとハマショーは、アコースティックギターを抱えてひとりで弾き語りを始めた。ロフトのステージのソデで彼のパフォーマンスを何度も見たが……正直に言って音楽関係者の大半は、ハマショーに関心を寄せていなかった。集客も期待できないので「対バン」(同ステージに複数の出演者が入れ替わる形で共演)のスタイルを取ることもあったが、カップリングに試行錯誤することが多く、基本的にロフトでのハマショーは<ピンで弾き語り>で活動することになった。

 76年4月にアルバム「生まれたところを遠く離れて」、シングル「路地裏の少年」でソロデビュー。79年7月、日清カップヌードルのCM曲として出したシングル「風を感じて」がチャート上位に食い込んだ。

 82年に日本武道館でライブを敢行。88年には静岡・浜名湖の野外ライブに5万人超のファンを動員した。余談だが――。

 76年12月10日、下北沢ロフトで「愛奴」がラストライブを行った。解散した愛奴のメンバーたちが、下北沢の路上で真夜中に大立ち回りをやらかした。

 どんなフラストレーションを抱えていたのだろうか? 謎である。

【連載】ロフト創業者が見たライブハウス50年

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