佐高信「追悼譜」
-
西山太吉はメディアや岸田文雄に絶望して憤死したのだ
国家の嘘を暴いた元『毎日新聞』記者の西山太吉の死を各新聞を含むメディアがそれなりに大きく取り上げている。しかし、報じたメディアは西山の怒りがそのメディアにも向けられていることを知っているのだろうか。…
-
公明党元国会議員・浜四津敏子の死はなぜ、2年もの間隠されたのか
旧姓高橋の浜四津と私は慶大法学部法律学科の同期生だった。2年余り前に亡くなっていたのに遺族の意向で党側が発表を控えていたというのだが、何か秘密めいたものが臭う。 そんな浜四津と、一度だけ、盗…
-
政治記者・田勢康弘は自身の出版記念会に時の首相を招いて舞い上がった
同郷、同学年ながら、私はその死を惜しむ気にはなれなかった。一時は親しかった田勢が時の首相を招いて大々的な出版記念会をやったので、私はあるコラムで次のように批判した。1999年のことである。 <…
-
革新リベラルを潰した「社会党のプリンス」横路孝弘
保守リベラルは「加藤の乱」を遂行できなかった加藤紘一が潰し、革新リベラルはその2歳下の横路が潰したと私は思っている。 東大法学部を卒業して弁護士となった横路は父・節雄の後を継いで「社会党のプ…
-
好敵手だった”民族派”鈴木邦男と私の「3つの共通点」
2歳上の鈴木とは、2010年に『左翼・右翼がわかる!』(金曜日)という対談本を出したが、3つの共通点がある。 1つは姉の存在である。 彼自身が書いているところによれば、小学校の遠足に…
-
ジーナ・ロロブリジーダは私とって世界一の美女だった
私にとって、世界一の美女は愛称ロロブリジーダだった。エリザベス・テーラーでも、イングリッド・バーグマンでも、マリリン・モンローでもなく、彼女だった。 1927年生まれのロロは、城山三郎や藤沢…
-
「寅さん一家」がまた一人お別れ…佐藤蛾次郎はアラカンを師と仰いだ
「男はつらいよ」の寺男役、源公が亡くなった。佐藤でなければ出しえない味を出して、あのシリーズに欠かせない役者だった。 『朝日新聞』には珍しい下町記者、小泉信一の『おーい、寅さん』(朝日新聞出版)…
-
「うる星やつら」や「おそ松さん」手がけた布川郁司の故郷への想い
カメラマンの山岸伸、高校以来の友人で、知る人ぞ知るベルウッドレコードの伝説のプロデューサーの三浦光紀、アニメーション業界のパイオニアの布川、そして私が会食したのは昨年の7月19日だった。いずれも山形…
-
伝説の月刊誌『話の特集』を創った矢崎泰久という破天荒
最初の出会いは1976年の春だった。わが師の久野収が一橋出版から高校の『倫理・社会』の教科書の執筆を依頼され、弟子たちの他に中山千夏と矢崎を誘ったのである。 久野はその時「失礼だが」と前置…
-
「山形の教え」を心に秘めながら芸能人を生きた、あき竹城の山形弁
あき竹城と会ったのは1999年の秋だった。 その年の10月31日にNHKの衛星第2放送で「おーい、ニッポン」 の「今日はとことん山形県」という特集企画があり、私は午後1時から8時までスタジオ…
-
山田太一と木下恵介を結びつけた映画監督・吉田喜重
吉田は、小津安二郎にからまれたことがある。 世界の小津が59歳の時、酒席で新人監督の吉田にこんな言葉を投げかけた。 「俺はな、橋の下で菰(こも)をかぶって春をひさぐ夜鷹なのさ。吉田君、…
-
班目春樹は「有害御用学者」の系譜に連なる 「専門バカ」ではなく「専門もバカ」
その名前をもじって、デタラメなどとも言われた原子力安全委員会の委員長が亡くなった。2011年3月11日の東京電力福島第1原発事故の時のその役職者である。 当時は民主党政権で、首相の菅直人に同…
-
崔洋一が『血と骨』の原作者・梁石日に「小さな破滅」を迫ったわけ
崔洋一にインタビューしたのは『週刊金曜日』の2004年11月5日号でだった。梁石日原作の『血と骨』が映画化されたのを機にである。 原作では主人公の金俊平は「2メートル近い大男」という設定にな…
-
宮沢賢治を誤読した”番犬評論家”加瀬英明
あるドキュメンタリー映画を観ていて、保守の大物として加瀬が出て来て驚いた。失礼ながら、吹き出してしまった。親の七光のボンボンが”大物”かあ、と溜息をついたのである。会ったことはないが、8歳ほど上の加…
-
人生を野球にたとえれば、村田兆治はカーブを投げられなかったのかもしれない
経済評論家の神崎倫一が拙著『情報は人にあり』(講談社文庫)の解説に次のように書いてくれてから、村田兆治のことは気になりつづけてきた。 「ケレン味のない直球投手である。ロッテの村田兆治のように、…
-
稲盛和夫は京セラ従業員の墓に入ったのだろうか
ジェームズ・ボンドが活躍する映画007シリーズの1作に『007は二度死ぬ』があったが、いわゆる著名人は家族葬的なものと「お別れの会」で「二度死ぬ」ようである。 京セラの創業者の稲盛は「お別れ…
-
田中角栄に惹かれた「朝日新聞」の政治記者・早野透
ユーチューブで流れる「3ジジ放談」が「2ジジ放談」になってしまう。平野貞夫、早野、私の3人でやっているそれが、早野の死によって平野と私の2人でやらなければならなくなったからである。 早野と私…
-
”中内㓛に似てしまった”佐野眞一をノンフィクションの主流扱いしてはならない
1992年に出した拙著「現代を読む 100冊のノンフィクション』(岩波新書)には佐野の『業界諸君!』を挙げ、こう書いた。 <「セプテンバー・セックス」という老人たちの性を扱ったレポートを含む『…
-
猪瀬直樹も丸ハダカにした戦後革新の証言者・高木郁朗が残した“遺言”
すでに死を覚悟していた高木が昨年の暮れに出した『戦後革新の墓碑銘』(旬報社)にこんな一節がある。細川護熙が辞任して羽田孜が後継首相となる時のことである。 「僕はこの過程でホテルニューオータニに…
-
創業者・本田宗一郎と久米是志元社長の大論争はホンダそのものだった
本田技研で河島喜好から久米へ社長がバトンタッチされる時、創業者の本田宗一郎は社員に向かって、こう演説した。 「ホンダの社長は代々くだらんやつばっかりだったから、あんた方がしっかりしなきゃどうし…