文庫で読むご当地小説

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■船橋 「ふなふな船橋」吉本ばなな著

 現在住む町、生まれ育った故郷、旅や仕事で訪れたことがある観光地、縁もゆかりも訪れたこともない見知らぬ地――。今回は文庫で読める「ご当地小説」を5冊紹介。その土地の地図を片手に読めば、物語をより深く楽しめること間違いなし。

 舞台は千葉県船橋市。ゆるキャラ「ふなっしー」の全面協力のもと、複雑な家庭環境に育ったひとりの女性の成長を描く。

 主人公・花は15歳で船橋にやってきた。借金を抱えて失踪した父と、子連れの恋人と再婚する母。家族の解散を経て、母の妹と一緒に暮らすことに。母が別れ際に買ってくれたお守りは、「ふなっしー」のぬいぐるみだ。

 12年後、花は大型書店が経営するセレクトショップの店長として働いている。程よい距離をもって淡々と育ててくれた叔母に感謝しつつ、体の弱い恋人・俊介との結婚を考え始めたある日、幼少期から何度も夢に出てくる少女と会話したところから、物語は彩りと深みを帯びていく――。

 ファンタジー要素は強いが、花が抱える現実は厳しく、酷でもある。大人が立ち向かう喪失感の壁、許すことの難しさ。東京に近いベッドタウンで、田舎でも都会でもない、何の変哲もない地方都市・船橋が、花の中で心のよりどころとなっていくのだった。

(朝日新聞出版 540円+税)

■九州 「十津川警部捜査行 阿蘇・鹿児島 殺意の車窓」西村京太郎著

 十津川警部の人気シリーズで、九州を舞台にした作品を5編収録。

 警視庁捜査1課の十津川警部が遠路はるばる熊本や鹿児島へ出向く理由。それは事件の被害者、または容疑者が刑事であることも多い。その陰に隠された別の事件の真相を追う。

「阿蘇で死んだ刑事」では、南阿蘇鉄道で起きた爆破事件の被害者が捜査1課の刑事であったことから、カメさんこと亀井刑事と乗り込む十津川警部。その背景には、2年前の連続女性殺人事件と銀行の不正融資疑惑が絡んでいたことがわかる。

「阿蘇幻死行」は、鹿児島を舞台に、「小さな駅の大きな事件」を描くもの。日本最南端(当時)の小さな無人駅である西大山駅で男の死体が発見される。十津川警部の同僚で、偏屈だが優秀な加倉井刑事だった。

 1986年発表の「西の終着駅の殺人」にはブルートレイン「はやぶさ」が登場。今はなき寝台特急を偲び、脳内で列車旅の醍醐味を味わってほしい。

(実業之日本社 667円+税)

■東京 「山手線謎日和」知野みさき著

 社員十数人の小規模出版社で営業担当の折川イズミは、山手線の車内で自社の新刊を読みふける男に遭遇した。3時間後、再び山手線内で同じ男を見かける。翌日、五反田駅の立ち食いそば屋でまたもや同じ男と再会。朝夕の通勤時は内回り・外回り合わせて約50本、日中は約30本が同時に走る山手線ならではの偶然なのか。 

 男の名は和泉怜史。1部上場企業の営業マンだったが、35歳で退職し、今は毎日、山手線に乗って読書をする謎の男だった。怜史のなじみの喫茶店を通し、イズミと怜史は距離を縮める。観察眼の鋭い怜史と、正義感の強いイズミはいつの間にか探偵コンビのように。山手線内で遭遇した暴行傷害、痴漢冤罪、ストーカーなどの事件を追う羽目になる。

 山手線を通勤で利用する人は、周囲を眺める余裕などないかもしれないが、善意と悪意の入り交じるヒューマンドラマは、そこかしこで起きているのだ。

 東京の大動脈・山手線を舞台にした人間模様を描く書き下ろし短編集だ。

(角川春樹事務所 580円+税)

■京都 「京都西陣 なごみ植物店2」仲町六絵著

 京都市の上京区・北区あたりは織物の町として栄え、西陣と呼ばれる。「なごみ植物店」はその西陣で姉妹が営む良心的な店である。妹の実菜はありとあらゆる植物に精通した「植物の探偵」だ。

 府立植物園広報課に勤める神苗健は、実菜にほのかな思いを寄せつつ、植物にまつわる事件に遭遇。それを実菜と共に解決していくという異色の探偵ミステリーである。

 今作はシリーズ2。神苗の恋敵にイケメン華道家・鈴池雪伸、家族を思うあまり小さな事件を起こした生意気な少年・ミノルも登場。マンション建設予定地で異様に植物が繁茂する謎の現象や、安倍晴明の名をかたるインチキ商法などを鮮やかに暴いていく。

 神苗と実菜の恋模様の行方が気になるのはもちろんのこと、物語の主軸となる植物にまつわる知識と雑学が勉強になる。古典文学と植物図鑑と京都ガイドブックの融合の様相だ。

 四季の移ろいを生活に取り込む京都ならではの描写を味わうことができる文庫書き下ろし。

(PHP研究所 640円+税)

■四国 「明星に歌え」関口尚著

 学生が体験できる「お遍路プロジェクト88」に参加した若者たちの青春群像小説。四国に88カ所ある札所を参拝するお遍路だが、参加者は班に分かれ、コーディネーターとともに全行程を50日間で歩き終える過酷な旅だった。

 相楽玲は10歳のとき、崖から転落する事故に遭い、それ以前の記憶がない。そのせいで人付き合いが苦手な男子だ。筋肉質の巨漢で、朗らかなムードメーカーの太陽は恋に悩む男子。白肌に黒髪の美女・花凜は愛想ゼロで一切話さず。本音をそのまま口にする女子・麻耶、斜に構えてトラブルを起こす剣也、古風な言葉遣いと気遣いの男・吉田。それぞれ、お遍路に参加した事情がある。

 照り付ける夏の日差しに行く手を阻む台風、険しい山道、延々と続く国道……喪失を抱えた若者たちが過酷な日程で四国4県を踏破する中、ぶつかり合い、助け合い、それぞれが大切なものを見つけていく。彼らの若さと成長にすがすがしい嫉妬を覚える。

 (集英社 820円+税)

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