「長兵衛天眼帳」山本一力氏

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 舞台はお江戸日本橋。創業から120年続く老舗眼鏡屋の当主・村田屋長兵衛は、優れた知恵と家宝の天眼鏡でさまざまな謎を解決すると評判の人物だ。ある日、長兵衛のもとに、長屋で起きた殺しの“本当の下手人”を探って欲しいという依頼が舞い込む。下町の活気や人情を鮮やかに描きながら、手に汗握る謎解きからも目が離せない連作時代小説である。江戸の深川を舞台にした作品を数多く執筆してきた著者だが、本作では日本橋界隈が舞台となっているのが珍しい。

「当時、日本橋といえば経済の中心地であり、全国各地から金や物が集まる場所だった。そこで120年続く老舗の当主といえば、商才があるだけでなく博識でなくちゃ務まらない。長兵衛も、この時代に最先端の情報が集まっていた長崎にまで何度も足を運んでいた知的好奇心の旺盛な人物です。ずばぬけた洞察力と人生経験、そして天眼鏡という武器を駆使して事件の真相に迫る、という物語になりました」

 執筆のきっかけとなったのは、村田屋のモデルに出会ったことだという。日本橋には村田眼鏡舗という老舗の眼鏡店が実在し、著者が店主と知り合いになったことが物語の着想となったそうだ。

「本ができる前にその方は亡くなってしまい、読んでもらえなかったのが本当に残念です。しかし、私自身日本橋という町とのご縁ができて、あそこで生まれ育って商いを守り続けている旦那衆と親しくさせていただくようになりました。そして、今でも日本の中で別格の歴史や誇りを守り続けているという、町のすごみのようなものを肌で感じるようになりました。そのため、『小説野性時代』で連載していた内容から、大幅に加筆修正して単行本化したんです」

 長兵衛だけでなく、その相棒ともいえる存在の目明かしの新蔵も魅力的なキャラクターだ。当時の目明かしといえば、同心からもらえる給料は微々たるもので、十手を持ちながらゆすりたかりも珍しくない嫌われ者が多かった。しかし新蔵は、正義を信じて突き進む誠実な熱血漢として描かれている。

「ろくでもないやからも確かにいたんだろうけど、給料が少なくたって、江戸の町の安全を守るという仕事に誇りを持っていた目明かしだっていたということを描きたかった。第一、日本橋の老舗の旦那の相棒を務められるということは、それなりの人物ということです」

 これは現代にも通じる人間模様だと著者は言う。どこかの政治家のように、金や権力だけにしがみつく人もいれば、自分の役割に誇りを持って全うする人もいる。また、“あの人物に人柄を買われているのであれば信用できる”と判断されることもあり、逆もまたしかりだ。

 本作では、お茶が絶妙な間を生み出す小道具として生かされている。今でこそスイッチひとつで火がつきお湯が沸くが、物語の舞台は江戸時代。湯を沸かすのも、そのための火をおこすのも大変な労力だった。その分、お茶を出す、あるいはお茶を出さないという描写が、人物たちの距離感を浮かび上がらせる仕掛けとなって効いてくる。

「今回は食べ物の登場も多いんだけど、中でも長兵衛が鈴焼きというお菓子を作る場面は自分でも気に入っています。実はこれ、うちのカミさんが出してくれたアイデアで、長兵衛が静かに鈴焼きを焼くシーンで、物語の総まとめというか、事件の締めくくりにつながっていく。いい小道具になっていると思っています」

 第2話の「真贋吟味」では、桧問屋の当主が急死したことで、長兵衛が遺言状の鑑定を依頼される。真贋判定や大岡裁きの痛快さとともに、家族のあり方まで丁寧に描かれ、そして最後にはあの鈴焼きの登場となる。

「日本橋という町に生きるキャラクターたちを、まだまだ活躍させたいと思っています。実は、本作だけでは解決されていない謎もちりばめられています。機会があれば、ぜひ書き続けていきたいですね」

 (KADOKAWA 1800円+税)

▽やまもと・いちりき 1948年、高知県生まれ。東京都立世田谷工業高校電子科卒業後、広告制作会社勤務等を経て97年「蒼龍」でオール読物新人賞を受賞。2002年「あかね空」で直木賞を受賞。「損料屋喜八郎始末控え」や「ジョン・マン」などシリーズ作品の他「欅しぐれ」「紅けむり」「千両かんばん」など著書多数。

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