「ちえもん」松尾清貴著
18世紀後半の周防国で生まれ、長崎で活躍した回船商・村井喜右衛門の、波乱に富んだ半生を描く歴史小説である。
当時の海村では、家を継ぐ長男以外は、余計者であった。ごくつぶしであった。彼らは、生まれた場所に縛られ、長男に縛られ、そういう境遇を抜け出るには何よりもまず努力が必要であった。坊はもっと太らんとなあ、と言われた幼い喜右衛門はこう言う。
「俺は太らんでええ。智彗で爺様を超えちゃるんじゃ」
これは、そういう智彗者をめざした男の物語である。
まず、人物造形が素晴らしい。たとえば、同じ村で育った吉蔵という若者がいる。末っ子なので居場所がない。次兄、三兄のうさ晴らしにされるだけ。だから、喜右衛門と一緒に海の冒険に出ることを夢見る。喜右衛門と違ってこの若者は体も頑健で、その対比もいい。まだ故郷にいたころ、吉蔵がチヨに夜這いをかけるくだりがある。いずれは村を出ていく身なので迷惑をかけないよう最初は我慢するのだが、ついに感情を抑えきれずにチヨの部屋に忍んでいく。そのときの、体を寄せてくるチヨの熱い息がいい。
彼らを取り巻く政治と経済の状況が克明に描かれるのがいいし、何よりも海の描写が素晴らしい。読んでいるだけでこちらの血が沸き立ってくる。デビューしてから15年以上になるので著作は多いが、歴史小説は初めてとのこと。今後に期待したい。
(小学館 1900円+税)