「スピノザの診察室」夏川草介氏

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「スピノザの診察室」夏川草介著

「医師になって20年ほどですが、大病なのに最後の最後まで堂々と過ごし私たち医療スタッフまで気遣ってくれ、周りの人たち皆に大きな力をくれる患者さんにときどき出会うんです。どうすれば、そういう心持ちにたどりつけるのか。私自身も探している“幸せに生きる方法論”をお持ちなのではないでしょうか。現場で考えてきたことをまとめ、そうした患者さんがいる“景色”を残しておきたいという思いで、この物語を書きました」

 ベストセラー「神様のカルテ」でへき地医療を描いた現役医師である著者が新作の舞台にしたのは京都。主人公の「マチ先生」は小規模病院で、外来・入院・在宅の患者を診る、おっとりとした内科医。かつて大学病院で数々の難手術を成功させた凄腕だが、妹が亡くなり甥と暮らすために得た職なのだ。甥に「病院を移ったおかげで、ずいぶんと新しい経験をさせてもらっている」と話す言葉に嘘偽りはない。受け持つのは、末期のがん、アルコール依存症による疾病など、残された時間が短い患者たちである。

「私たち医師は全力投球しますが、例えば脱水状態の高齢の患者さんに、点滴で定量の水分を補給し続けるのがいいか、浮腫が出たら量を減らす方がいいかはケース・バイ・ケース。明確な答えがなく、さじ加減を学んでいくんですね。私自身は医師5年目に『担当患者の点滴量を減らしたい』と指導医に申し出たら『君も少しは一人前に近づいてきたね』と言われたことが記憶に鮮明です。マチ先生も大学病院にいたときのように、治療、回復、退院といったわかりやすい道筋が用意されていない世界にいるわけです」

 膵がんを患った華道の家元一族の女性(71)が、髪が抜けるのが嫌で抗がん剤治療を断り、自宅で伏せっている。往診したマチ先生に「日に日に力が抜けていきます。もうそろそろ、お迎えやと思います」と言うと、「頑張らなくても良いのです。ただ、あまり急いでもいけません」とマチ先生。

 大量吐血し、運び込まれた肝硬変の男性(72)は、輸血と緊急内視鏡検査が必要な状態だが「お金ないで」。生活保護を受けない主義を貫くこの男性にマチ先生は伴走する。ほかにも、幾人もの終末期患者とマチ先生のじーんとくるやりとりが詰まっている。

「死に至る道は、順風満帆にきた人も大病をせずにきた人も、誰もが通る道です。と同時に、たとえ病が治らず、残された時間が短くても、人は幸せに過ごすことができるんですよね。この物語が、生きているうちに死について考えるきっかけになったらうれしいです」

 タイトルの「スピノザ」は、オランダの哲学者、スピノザから。地位や名誉とは無縁にレンズ磨きで生計を立て、人間の行動と感情をありのままに理解しようと努めたご仁だ。

「マチ先生は学生時代からスピノザを読んでいたと思います」と著者。

 マチ先生の大学医局時代の先輩が、権威のある学会で発表するために渡米する。皆が羨望する補佐役を頼まれたマチ先生はどうしたか。気になる結末は本書を読んでお確かめを。

(発行・水鈴社、発売・文藝春秋 1870円)

▽夏川草介(なつかわ・そうすけ)1978年大阪府生まれ。信州大学医学部卒。長野県で地域医療に従事している。2009年、「神様のカルテ」で第10回小学館文庫小説賞を受賞してデビュー。同書は10年本屋大賞第2位となり、映画化された。ほかに「本を守ろうとする猫の話」「臨床の砦」「始まりの木」など。

【連載】著者インタビュー

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