清志郎さんは「ロフトはロックの聖地ですから」と笑った
世田谷の自宅に新型コロナのワクチン接種券が届いた。1回目分と2回目分がある。2回目がまだの医療従事者も多いと聞く。「まずは医療従事者の方々に安心して働いてもらうべき」としみじみ思う。「人と人との接触が封じ込まれた現実」を考える。後期高齢者となって「死」が「決定的な別れ」であることを痛切に実感する。老いては「人の役に立ちたい」と切に思う。ロフトの常連だったRCサクセションの忌野清志郎さんは2009年5月2日、58歳の若さでこの世を去った。その半年前、清志郎さんに久しぶりに出会った。
「良い音を出す」のに客の呼べないRCに業を煮やし、わたしゃ「ロフトのステージにはもう出せない」と清志郎さんに最後通牒を突き付けた。
その翌月からRCは渋谷のライブハウス「屋根裏」に拠点を移し、80年1月にリリースした「雨あがりの夜空に」の大ヒットで一気にスターダムにのし上がっていった。
正直に言って「一体どういうことなんだ」と驚き、困惑し、そして落胆した。屋根裏は本当に小さくて狭くて汚いハコだった。スピーカーもボロボロだし、ロクな照明もなかった。雑居ビルの1階がパチンコ屋、2階がキャバレー、3階がライブハウス、4階が楽屋だった。バンドの連中は1階、2階の<やさぐれた住人>の好奇の目にさらされながら、狭くて急な階段を上っていった。