塩澤実信
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塩澤実信ノンフィクション作家

長野県生まれ。双葉社取締役編集局長などを歴任。レコード大賞元審査員。「昭和の流行歌物語」「昭和歌謡 100名曲」など著書多数。

「みだれ髪」美空ひばりの天才たるゆえんが隠されている

公開日: 更新日:

 昭和を代表する歌手・美空ひばりは、ほぼ昭和とともに生涯を終えている(平成元年6月没)。52年の生涯に吹き込んだレコードは1500余曲。うち、オリジナル曲は517曲だった。

 日本コロムビアの最新の出荷枚数の集計によると、シングル・ベスト5は①「川の流れのように」205万枚②「柔」195万枚③「悲しい酒」155万枚④「真赤な太陽」150万枚⑤「リンゴ追分」140万枚の順になっている。

 その次の6位が「みだれ髪」125万枚であり、今回はこの曲を取り上げてみたい。

 なぜかというと、亡くなる1年8カ月前、闘病のさなか、渾身をかけて吹き込んだ曲だからである。しかも、この曲にこそ、ひばりの天才たるゆえんが隠されているからだ。

 肝硬変、両足大腿骨頭壊死という大病で緊急入院した美空ひばりが、103日の闘病を経て、奇跡の復帰レコードに挑んだのは、昭和62年10月9日だった。それが星野哲郎作詞・船村徹作曲の「みだれ髪」である。

 ♪憎や 恋しや 塩屋の岬~という歌詞の舞台になったのは福島県の塩屋崎で、ひばりプロ制作部長の指示を受けて、星野哲郎はこの地を取材旅行して詩藻を練った。ちなみに塩屋崎は、木下恵介監督の名作「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台で知られていた。

 その歌詞に曲を書いた船村徹と美空ひばりとのつき合いは古く、昭和31年に天才少女歌手ひばりが歌った「波止場だよ、お父つぁん」からであり、「みだれ髪」までに50曲は作曲していた。

 退院したひばりと面会した船村は「無理をしないでいきましょう」と声をかけたが、ひばりは「今まで通りの船村メロディーでお願いします」と返した。病み上がりだからと特別扱いしないでくれというメッセージに感激した船村は、ひばりでなければ歌えない一番高いファルセット(裏声)のさらに半音高い音を「みだれ髪」に配した。重病から復帰を果たした“不死鳥ひばり”への熱い思いがこめられていたのだ。

船村徹が舌を巻いた収録

 レコーディング当日、ひばりはその期待に応えて、大勢の報道陣が見守る中で、見事、一発勝負の同時録音を終えた。だが、それだけではなかった。ひばりは、船村の想定以上のことをやってのけたのだ。

 当時の録音風景を船村は次のように述懐している。

<「みだれ髪」のワンコーラス目の詞でいうと♪投げて届かぬ 想いの糸が~という一節がある。この届かぬの『ぬ』から『が』の間の音の動きを、私は完全五度の音程に書いておいた。この部分は、私が最もあれこれと苦しみ抜いたところである。完成した段階でも、なんとなく気持ちが引っかかっていたのだった。……スタジオに流れるひばりさんの歌は、とても病み上がりとは思えないような、張りのある美しい歌声だった。録音後、改めて聞いてみると、私が書いた完全五度音程が、スムーズに流れる短三度の動きに直され、歌われていたのだ。「やられた……」。だれにも見つからないように、その場で私は譜面を書き直した>

 昭和を代表する作曲家でもある船村徹の迷いを、ひばりはさらりと凌駕したのである。

 天才歌手の死は、その録音から1年8カ月後。まだ52歳の若さだった。 

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