ロフト創業者が見たライブハウス50年
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ライブハウスで壮絶な最期を遂げた故・南正人さんを悼む
フォーク、ロック、レゲエのシンガー、吟遊詩人、いやヒッピーと呼ぶのが一番ふさわしいかも知れない。同じ1944年生まれの南正人さんがコロナ禍の真っただ中、横浜市内のライブハウスで壮絶な死を遂げた(7日…
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日本中のトーク空間は「ロフトが導火線」と自負している
正月はいつだって高齢者を孤独に追い詰めるもの。書斎の窓から木の葉が舞い込んできた。自宅前の神社に善男善女が列をなしている。その隣の公園では女性が井戸端会議中。青空だが、寒気団のせいで凍てつくような寒…
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まだまだ続くコロナ禍…3密最前線のライブハウスの未来は
新型コロナイヤーが終わろうとしている。6月に刊行した「セルロイドの海」のプロモーションで忙しい日々を送る予定だったが、取材を受けても<3月20日に渋谷ロフトヘブンでコロナ感染者を出した>話題に終始。…
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「ワラシ」森田童子の引退ライブは葬式のように静かだった
1983年12月。森田童子は新宿ロフトでのライブを最後に引退した。その10年前の73年。彼女は西荻窪ロフトで初めてライブハウスのステージに立った。今でもファンたちは、西荻窪ロフトを「聖地」と呼んでい…
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森田童子の引退10年後「ぼくたちの失敗」がミリオンセラー
1973年に西荻窪ロフトでライブハウスデビューを果たした森田童子は、10年後の83年12月に新宿ロフトのステージに立ち、これを最後に引退した。さらに10年後。彼女の旧作「ぼくたちの失敗(76年)」の…
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フラッと現れた森田童子の暗くて沈んだ歌声に恋心を抱いた
新型コロナに翻弄された2020年も12月を迎えた。ライブは<密>を避けて<配信>というスタイルに変わり、演者とファンとの間に存在していた<濃密なつながり>は分断され、音楽を熱く実体験することができな…
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司会は下北沢の安アパート暮らしの坂崎幸之助だった
1975年に下北沢ロフトがオープン。32歳にして都内に3軒のライブハウスを経営することになり、とにかく興奮の日々だった。全国の新進気鋭のバンドが、若さのほとばしる音源をとったカセットテープを送ってき…
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目の前のテーブルで“出待ち”の中島みゆきさんが飲み物を
晩秋の空が一番美しいと言ったのは誰だったか? 1975年、秋が深まりを見せるころ、4店舗目となるロフトのオープンに向け、気ぜわしい日々を送っていた。時折、空を見上げて「何かいいことが起こりそうな気が…
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北島三郎は「ロックの時代が到来する」ことを予測していた
ロフトの関係者は、彼女を「ジュンペイ」と呼んでいた。1977年に「シンプル・ラブ」をヒットさせた大橋純子である。「たそがれマイ・ラブ」「シルエット・ロマンス」のヒット曲でも知られる彼女は、75年にオ…
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「タモリは無抵抗を貫きながらス~ッと無欲に生きてきた」
1972年に山下洋輔トリオに参加した坂田明さん(サックス)は、タモリさんがメジャーになる前から濃密な時間を過ごしてきた。久しぶりに会った坂田さんは「同じ1945年生まれ。2人とも地方出身者。アイツと…
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「笑っていいとも!」を使わせて欲しい…「いいとも!」
わたしゃ若い連中によく言うんだ。「西荻窪や下北沢のロフトで山下洋輔トリオがライブをやってくれた。ピアノの山下洋輔さん、ドラムの森山威男さん、そしてサックスの坂田明さん。この黄金のトリオがロフトで演奏…
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タモリが「国民的スター」になる前の話 生き証人に聞いた
まずはゲンダイ読者におわびと訂正です。1週間前のコラムに「国民的スターのタモリさんのデビューがシモキタ・ロフトだったことを名誉に思う」と書いた。ところが……実は3番目でした! 九州・福岡にい…
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タモリ“ハナモゲラ男”はシモキタ・ロフトで東京デビュー
歌舞伎町のど真ん中なので、家賃はべらぼうに高い。<ROCK CAFE LOFT>は、2018年の3月にオープンした。18坪の小さな店。日本の音楽文化、ライブ文化を継承するために「ロック爆音空間」をつ…
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金子マリ「歌を通じて誰かの心をちょっとでも動かしたい」
荻窪ロフトのブッキングを見ると金子マリ&バックスバニーは【1975年5月24日】【同年12月14・15日】にライブをやっている。下北沢ロフトでは、オープンして5日目の【1975年12月8日】にステー…
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「下北のジャニス」こと金子マリは“ロフトの恩人”なのだ
新型コロナウイルスは依然として収束していないが――。暑かった夏も終わりを告げ、驚くような物音を立てながら秋風が、街角を吹き抜けるようになった。 あのころ小さな街だった下北沢は<熱気>を抱え込…
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シモキタ・ロフトで「ライブハウスの宿命」が身に染みた
9月13日に「下北沢ロフト生誕45周年記念ライブ」が行われた。1975年12月。小田急線と井の頭線が交わる下北沢駅・南口商店街を抜けたところにシモキタ・ロフトはオープンした。忘れられない青春の日々。…
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サザン時代の自分は地上2メートル上をフワフワ浮いていた
瞬く間に国民的スーパースターになったサザンオールスターズだが、ロフトでライブをやっていた頃は客は数人しか入らないし、身なりは薄汚いし、売れるとは思わなかった。正直に言って……身近にいたサザンのブレー…
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サザン元メンバーが明かす シャイな桑田に代わって僕が…
下北沢ロフトや荻窪ロフトで数人の観客の前で演奏していたサザンオールスターズは、瞬く間に国民的人気バンドに成長した。シモキタ・ロフトのバイトにしてサザンのギタリストだったター坊(大森隆志=2001年に…
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元サザン大森隆志さんロフトの活気を回顧「賃金交渉も」
新型コロナ禍でライブハウスが壊滅的な被害をこうむる中、サザンオールスターズが6月25日に横浜アリーナで「無観客配信ライブ」を行った。 我らがロフトグループも、店舗を維持するために有料のライブ…
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「シモキタ・ロフト」がなかったら今のサザンはなかった
2001年にサザンオールスターズを脱退したギタリスト大森隆志さん(ター坊)をインタビューした。聞きたいことは「サザン誕生秘話」「脱退の真相」。ズバッと聞くつもりでインタビュー前に自分自身のフェイスブ…