ロフト創業者が見たライブハウス50年
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ウイルスとAIと共存し、今後も時代とともに生きていきたい
ロッカーのPANTAさん(71)をインタビューし、個人的な思いをフェイスブックにアップした。「彼のライブで損をしたことがない。40年前にもファンクラブがいたし、動員力のある<安全パイ>だった。売れな…
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PANTAさんは71年の三田祭で“ステージ・ジャック”をやった
5月29日に「新型コロナワクチン」の1回目の接種を済ませた。「蚊に刺されたような痛み」だった。予防効果は70~80%。2回目で96%と聞いた。「これでライブに行ける!」。接種会場から渋谷リキッドルー…
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PANTAはトリ前に「物真似猿の大行進が始まる」と歌った
コロナ禍にあって御年71ながら、軽やかなフットワークでライブ活動を続けている。ロッカーのPANTAさんだ。4月下旬には、頭脳警察を1969年に結成する前のアイドルバンド「ピーナッツバター」の復活ライ…
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たきつけられて…日劇でのマスターベーションは若気の至り
1969年暮れに頭脳警察を結成したロッカーのPANTAさん(71)は「世界革命戦争宣言」「赤軍兵士の詩」など政治色の濃い曲をライブなどでシャウトし、若者から熱狂的な支持を集めた。そのPANTAさんは…
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PANTA 18歳で「アイドルにはならない」とホリプロを辞めた
新型コロナウイルスが猛威を振るう前の2020年2月。世田谷・下北沢駅正面にライブハウス「Flowers Loft」がオープンした。先月の4月25日、ひさしぶりに顔を出した。ロッカーのPANTAさん(…
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清志郎さんは「ロフトはロックの聖地ですから」と笑った
世田谷の自宅に新型コロナのワクチン接種券が届いた。1回目分と2回目分がある。2回目がまだの医療従事者も多いと聞く。「まずは医療従事者の方々に安心して働いてもらうべき」としみじみ思う。「人と人との接触…
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客5人で…清志郎さんに「RCでは商売にならない」と告げた
RCサクセションのボーカル忌野清志郎さんは中学生だった1966年に同級生と「ザ・クローバー」というバンドを結成し、70年にシングルデビューを、72年にアルバムデビューを果たした。76年には代表曲とな…
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RCサクセションのライブに客は5人しかいなかった
LOFT3店舗目となる「荻窪ロフト」(1974年11月オープン)のライブスケジュールを振り返ってみる――。77年11月と78年2月にサザンオールスターズ、アルフィー、そしてRCサクセションが<同じ月…
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3月に死去したポンタさんはロフト立ち退きに猛反対した
日本ミュージック界のレジェンドが、この世を去ってから1カ月が経過しようとしている。ドラマーの村上“ポンタ”秀一さんが3月9日に死去した。70歳だった。2月8日に自宅で倒れ、入院先の都内の病院で意識が…
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大瀧詠一さんは「ニューミュージックのお葬式」と言った
フェイスブックには2300人以上のFB友がいるし、3月15日から毎週月曜(午後10時~)「新宿ロフト創始者 平野悠さんに何でも聞いてみようの会」をClubhouse(クラブハウス)で始めた。76歳に…
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「い・け・な・いルージュマジック」99%できないと思った
50年前の1971年3月24日。「烏山ロフト」をオープンさせた。広さ7坪。家賃3万2500円。あれから50年。新型コロナウイルスがライブハウスの屋台骨を直撃。わたしゃロフトで無役・無給となった。それ…
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竹内まりやさんは「理想の歌声」の持ち主だった
月刊「東京人」(都市出版)の最新刊(3日発売)「シティ・ポップが生まれたまち 1970―80年代 TOKYO」が売れ行き好調で重版がかかったそうだ。ここ数年、70~80年代に生まれた「シティ・ポップ…
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弾き語りのハマショーに関心寄せる音楽関係者はいなかった
1979年3月、「新宿ロフト」のブッキングを見ると最終日の31日、こう書いてある。「村下孝蔵(from広島)/浜田省吾」。53年2月28日生まれの村下さん。52年12月29日生まれのハマショー(68…
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村下孝蔵さん「このまま広島に帰るわけには」と酒をあおり
2021年の1月、2月というのは、例年以上に足早に過ぎ去った気がする。1年前を思い出す。ここまで新型コロナウイルスが猛威を振るい、ここまでライブハウスが大打撃を食らうとは――。2月が終わりに近づくと…
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大塚まさじさんはステージ上で「どこに泊まろう」と思案
ナンだかんだ言って出会ってから48年もの月日が流れた。フォークシンガー・大塚まさじさん(70)は、1960年代の後半に大阪・難波の喫茶店「ディラン」のマスターになり、そこで西岡恭蔵、中川イサト、加川…
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桑名正博さんの周りはイイ女だらけだった
2012年10月26日だった。いくら何でも59歳は早過ぎる。大阪に戻って「ゲタバキの音楽をやりたい」と言っていたね。西荻窪(1973年オープン)、荻窪(74年)、下北沢(75年)のロフトで何度もライ…
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1974年「春二番コンサート」に豪華メンバー50組が集まった
ロフト2店舗目は<ライブスポット>をやることになった。「西荻窪ロフト」。まだ<ライブハウス>という言葉が、一般的ではなかった時代である。防音上の問題からロック系は演奏不可。フォーク系の弾き語りが中心…
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坂本龍一と映画監督の園子温 2人とも長生きしてもらいたい
2021年2月。ふと1年前を思う。大阪市内のライブハウスで新型コロナウイルスのクラスターが発生。ロフトグループは3密回避、マスク着用など感染予防対策を講じたが、3月20日に陽性反応者が出てしまった。…
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原点は烏山ロフト「坂本龍一は天才。大物になる」と吹聴
17日に69歳の誕生日を迎えた音楽家・坂本龍一さんが「2014年の中咽頭がんは寛解して安堵していましたが、残念ながら新たに直腸がんが見つかりました」と発表した。1976年に東京芸大大学院修了。2年後…
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南正人さんに「このままでは店が潰れる」と言った
日本オリジナルのフォーク、ロックの道筋を切り開いたシンガー・ソングライター南正人さんが亡くなった。76歳。同年生まれの激烈な死に衝撃を受けた。「7日夜のライブ中、元夫(南正人)がドラムを叩いていた息…