巷説 立川談志水滸伝
-

(25)小さんと談志にあった師弟関係とは違う関係
談志は終生小さんの弟子であり続けた。だが、しかし、ふたりの関係は謎のままだった──。 ◇ ◇ ◇ “もし小さん師匠に謝られて、(落語)協会に戻ってこいよって言われたら、俺は一番…
-

(24)師匠・柳家小さんとの奇妙な距離感 どこまで甘えられるかを測るような振る舞い
柳家小さんと談志の師弟関係、そこには誰も立ち入れない密度の濃さがあった。 ◇ ◇ ◇ 談志は、形式的な関係が崩れても柳家小さんを追い続けた。それが談志にとって意味のある師弟関係…
-

(23)幻に終わった“談志・志ん朝二人会”
志ん朝の死に動揺したのか、談志はその日、殺到する取材依頼を避け続けた──。 ◇ ◇ ◇ 古今亭志ん朝の訃報が流れた二〇〇一年十月一日の昼過ぎ、東京・根津の談志宅マンションで打ち…
-

(22)ビートたけしと談志に共通していた“時代に自分を変えられない”意志
世間的にはほとんど無反応だったが、談志にとってはそれなりの大事件。それが「大笑点」という企画だった。 ■「さあ! みんなでテロつなごう‼」「 「大笑点」は、竹書房の雑誌で二〇〇一年から連…
-

(21)山藤章二は自ら先鋭的な表現者であろうとすると同時に、談志の守護者であろうとした
談志CD全集の制作を進めるなかで、立川流顧問・山藤章二に注意を受けた点がある。それは“表現の危機管理”である。 ◇ ◇ ◇ 談志は落語界でも格別の毒舌家であり、山藤も名うての辛…
-

(20)「このCDを買っとくと交通事故に遭わないし、いいウンコが出る」家元は自らの進化の記録を残す方向に舵を切った
談志は落語の記録を残すことにこだわり始めた。そこには芸の進化を確認する意味もあった──。 談志の切り替えは早い。初の落語ビデオの商品化にはかなり逡巡したものの、いったん思い切ると、すぐ次に移…
-

(19)高座のビデオ発売を迷い続けた家元
落語は映像作品として残すべき芸なのか、談志は撮影が終わってもなお迷い続けた──。 初の落語ビデオ作品となった「立川談志ひとり会 落語ライブ'92~'93」の“後記”に、談志は次のような文章を…
-

(18)談志が唯一「兄さん」と呼んだ色川武大は、落語家・立川談志に対する注意深い観察者でもあった
落語立川流はひとまず軌道に乗り始めた。しかし、談志は心の支えだった色川武大を失う。 ◇ ◇ ◇ 立川流創設と同時に、談志は各界から大物顧問を招いた。それは立川流の箔付けにもなっ…
-

(17)一度の高座、一席の落語が人生を決める。芸人は幸か不幸か、そんな生き方をしている。
志の輔が頭角を現すなか、立川流には談春、志らくが入門してくる。入門の決め手は、いったいなんだったのか──。 ◇ ◇ ◇ 談春は高校時代に落語家を志し、とりわけ談志と志ん朝に強く…
-

(16)柳家花緑が語る「談志師匠は『いつも自分を出す』ってところがすごいですね」
落語立川流の“常識破り”は、次世代の落語家にどんな影響を与えたのだろうか──。 談志より三十五歳年下の柳家花緑が、まず立川流のBコース(著名人コース)について語る。 「僕はまだ若かった…
-

(15)「実験第一号」志の輔の成功はすなわち、立川流の成功の始まりだった
落語立川流は寄席を捨てたことによって難しい問題を抱えた。弟子をどう育てるかである──。 談志の本質はリスクテイカーである。安全圏には閉じこもらない。その上で革命家の要素も併せ持っていた。 …
-

(14)談志と志ん朝がお互い持っていた相手への畏敬の念
立川談志と古今亭志ん朝。このふたりが同時代に居合わせたことで、戦後の落語界は躍動することになる──。 芸能でもスポーツでも、ヒーローは単独でいるより宿敵を得て引き立つ。そこにはどちらかが笑い…
-

(13)庵野秀明監督と談志の志向には共通点がある
エンタメ業界に変革の波が起きるとき、そこにはむき出しのパーソナリティーが現れる──。 立川流創設から十二年後の一九九五年、テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」(テレビ東京系列)が放映された…
-

(12)「事務所を当てにしねえで自分の力で売れてみろ」弟子の怠慢を次々と責め上げた
立川流Bコース(著名人コース)の人気は、Aコースの直弟子たちに新たな危機意識を植えつけた──。 ◇ ◇ ◇ 落語立川流Bコース(著名人コース)が世に受け入れられた背景には、一九…
-

(11)立川流Bコースの隆盛は、伝統芸能としての落語を担う直弟子たちに苦い現実を突きつけることになった
落語立川流の独立は、落語協会に残った面々にも影響を残した。分裂の傷は浅くなかった──。 ◇ ◇ ◇ 「修業とは矛盾に耐えることである」 談志は弟子たちにそう言った。この言…
-

(10)「Bコース」参加者は落語そのものではなく、“伝統芸能を土台とする場所”を求めていた
談志は落語協会を飛び出して立川流を立ち上げ、落語史上初のBコース(著名人コース)を新設する。 ◇ ◇ ◇ 落語立川流創設の一九八三年、東京ディズニーランドが華々しくオープンした…
-

(9)「なんで弟子から金を取るのか?」マスコミから突っ込みが入った
真打ち昇進試験で弟子を落とされた談志は、寄席に出られないハンディを覚悟で落語協会から離脱し、さらに立川流創設を決意する──。 「立川流顧問ご依頼のすじ。特典は、談志独演会および一門の会無料ご招…
-

(8)真打ち昇進試験での弟子2人不合格に激怒「俺は落語協会を出るぞ」と言い放った
一九七〇年代、落語界は大量真打ちを認めるか、厳選するかで揉めていた。この問題は増えすぎた二つ目に関する対応の試金石となった──。 「オイ、こんど、真打ちに試験制度を入れることにしたョ。これなら…
-

(7)小さんは抱える、圓生は切る、談志は壊す
柳家小さん──。 “この師匠でなければとっくに破門になっている” 談志は常々そう口にしていた。 事実、この関係は普通なら成り立たない。落語史どころか、芸能史においてもきわめて…
-

(6)談志は恵まれた新人タレント議員だったが、“プッツン”を露呈し一期六年で終わった
談志は石原慎太郎を通じて弟の裕次郎とも親しかった。裕次郎は日活に反抗して失踪事件を起こしたり、五社協定を破って石原プロ設立を強行したり、さまざまに世間を騒がせた。 慎太郎は「弟」と題した本で…
