保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(13)野村大使と日系2世秘書は、外交交渉の恐ろしさを知らなかった
近現代史の中でもっとも重要な時期の対米関係で、駐米大使の秘書が外務省の交渉慣れした外交官ではなく、大使が日系2世などを通じて探した青年であったというのは、なんとも不思議である。煙石学はその頃にまだ2…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(12)松岡外相人事こそが宣戦布告通知遅れの間接的原因
野村吉三郎海軍大将が、駐米大使に起用されたのは、昭和15(1940)年11月のことであった。もともとは海軍の法規畑に詳しい軍人と自負していたのだが、昭和14年8月に誕生した阿部信行陸軍大将の首相時代…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(11)海軍出身の野村大使と外務省プロパーとの間の決定的溝
保阪メモ第22項目を見ていくと、いくつかの史実が歴史的視点から検証されていなかったことに気がつく。思いつくままに並べてみても、「なぜ野村吉三郎大使は秘書を個人的に雇わなければならなかったのか」「開戦…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(10)あまりにもずさんだった日本大使館の情報管理
保阪メモの第22項目(駐米日本大使館のタイピスト4人はなぜ真珠湾攻撃の前に辞めたのか)について、その概要を見てきた。文書がアメリカ人によって打たれていたという事実を、私たちはほとんど知らなかった。今…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(9)日本大使館への監視は次第に暴力的になっていく
私は、4人のタイピストのうち、ウイルソンと名乗っていた男性は情報機関のスタッフだと思う。この点を当時の課員にただしても、誰もが「そういう人物はあまり覚えていないなあ」と異口同音に話すのである。 …
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(8)日米開戦秘話 駐米大使館の「面従腹背」とタイピストによる情報漏洩疑惑
駐米大使館の駐在武官・実松譲による証言は、私の考えていた光景とほぼ一緒であった。野村吉三郎大使の命令に、外務省の課員たちは徹底して面従腹背の態度だったのである。外務省プロパーが大使であったならば、確…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(7)真珠湾攻撃秘話…野村吉三郎駐米大使にはなぜ正式な秘書が付かなかったのか
アメリカ人タイピストはいかにして日本大使館に入ったのか。これについて当時の課員たちの証言を求めるならば、ある課員の以下の証言が適切である。 「大使館には現地の人を採用せざるを得ない事情があるの…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(6)米国人タイピストのウイルソンはスパイと疑われても不思議ではなかった
この英文タイピストの存在は当時の大使館内でも誰もが知っていたというわけではない。 大使館の主要任務は、明確に分かれていて、2等書記官、1等書記官、それに電信官などそれぞれが自らの担当を日々こ…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(5)駐米日本大使館の米人タイピストは、なぜ真珠湾攻撃の前に辞めたのか
昭和16(1941)年12月8日の未明の日本海軍による真珠湾奇襲攻撃は、通告なしの先制攻撃であった。確かに日本政府はアメリカへの国交断絶を伝える文書を、ほぼ攻撃時間に合わせて渡そうとしていた。しかし…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(4)日本の米国に対する戦争通告は、外務省書記官でさえ気づかなかった
保阪メモの第22項目「駐米日本大使館の米人タイピスト」について話を続けていこう。 それにしても1等書記官の一人が、すぐに本省から送られてきた文書の束を次々と英文タイプで打っていけばいいではな…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(3)太平洋戦争開戦前夜──タイプを打たせてはならないと言われた「3人の米国人タイピスト」
今回から歴史的にあまり知られていない史実を、私の取材メモをもとに整理してお届けしたい。「保阪メモ第22項目 なぜ駐米大使館の米国人タイピスト3人は、真珠湾開戦前に辞めたのか」について詳しく見ていくこ…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(2)戦争下で歪んでいく日常、壊される常識…取材メモ約150通をひともく
これまで昭和史の正確な実証をめざして、延べ4000人の関係者に会ってきた、と私は書き、話してもきた。「本当か」と首をひねる向きも多いかもしれない。しかし30代の初めから80代半ばの今日まで、昭和史の…
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シリーズ 保阪メモ「昭和史余話」(1)4000人あまりの証言をこのまま墓場に持っていくわけにはいかない
これまで「憲法と日本人」シリーズを長期にわたって検証してきた。折々の政治、社会、文化などの動きに絡ませて、歴史との関わりを見てきた。月並みな言い方になるのだが、頭を抱えるほどの難問にぶつかったとき、…
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シリーズ「憲法と日本人」(51)「戦争ができる憲法」への現実味 今こそ改憲論議の歴史を見つめ直せ
昭和31年に開かれた憲法調査会法案に関する第1回公聴会について、もう少しの補足説明を加えておこう。私たちは79年の間、変わらずに続いてきている現憲法を改正するときには、どのような心構え、あるいは向き…
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シリーズ「憲法と日本人」(50)戦争に直結した大日本帝国憲法と、まずは「100年」生かすべき「非軍事憲法」
現在の時点で、なぜ70年前の憲法改正を前提とした「憲法調査会法案」の第1回公聴会議事録の内容を事細かに紹介したのか。言うまでもなく今後の改正論議では、幾つかの視点や論点が出されてくるであろう。しかし…
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シリーズ「憲法と日本人」(49)憲法を論じるならば過去・現在・未来を透視した姿勢が必要だ
憲法改正が現実に政治的課題となってきているというのに、その動きへの論じ方が十分に行われていないように思えてならない。現政権は憲法改正に使命感を持っているようだが、具体的にどのような方向で、いかなる内…
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シリーズ「憲法と日本人」(48)日米安保条約の片務性を指摘する改憲派の思惑と60年安保闘争
自民党の大坪保雄と政治学者の中村哲。この2人のやりとりの中で、もう一点注視しておく必要のある論点を紹介しておこう。それは集団安全保障に対する視点である。2人のやりとりの内容を以下に語っておきたい。 …
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シリーズ「憲法と日本人」(47)ある日突然戦争は起きない、「急迫不正の侵害」に至るには13から14の段階がある
自民党の大坪保雄の感情的な質問に、政治学者の中村哲の答えはいかなる内容であったか。 その答えの中には、「この点は憲法の性格、考え方が甘いと言われるかもしれませんが、ちょうどこの憲法ができまし…
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シリーズ「憲法と日本人」(46)今後の改憲論議が進む道を示唆する自民党議員の軍事第一主義の質問
自民党の大坪保雄と政治学者の中村哲のやりとりをもう少し見ていくことにしよう。 大坪の意見は、神川彦松とあらゆる点で共通点がある。つまり大日本帝国憲法のもとでの支配階級は、新憲法にこのような不…
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シリーズ「憲法と日本人」(45)公聴会で最後まで平行線をたどり続けた「全面的改憲論者」と「原則的護憲論者」
政治学者の神川彦松と社会党の飛鳥田一雄のやりとりは、平行線をたどり、2人の論は噛み合うところがない。飛鳥田は、やりとりの最後に苦情を述べている。 「はなはだ恐縮ですが、いろいろな憲法改正、ある…
