保阪正康 日本史縦横無尽
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(30)天皇巡幸は兵士から戦時指導者への「告発」の意味さえ込められていた
厚生省(当時)援護局の係員がまとめた横須賀周辺の引き揚げ者寮や宿舎での、天皇と外地(サイパン、グアム、テニアン、フィリピンなど)からの復員兵のやりとりの記録は、すさまじい内容であった。兵士、下士官は…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(29)神奈川巡幸で昭和天皇は一般兵士たちと心を開いて会話していた
昭和天皇の神奈川巡幸について、もう少し記述を進めておきたい。天皇が一般兵士と心を開いて会話を交わしたのは、むしろ昭和21(1946)年2月20日の午前から午後にかけてのことであった。その光景は大日本…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(28)外地から帰ってきた兵士は土間に額をつけていた。昭和天皇は言葉を失った
昭和天皇の全国巡幸の最初は、神奈川県の横浜、川崎、横須賀周辺で、あまり世間にも知らされずに密かに行われた。といっても県庁や警察、それに中央官庁の役人たちはいずれも緊張の極で天皇を迎えている。もし不祥…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(27)全国巡幸で昭和天皇が初めて口をきいた国民Mの証言
試験的に行われた全国巡幸の第1弾、横浜、川崎、横須賀などを2日間で回る日程は特に混乱もなく終えることになったのだが、国民と初めて口を利いたのは昭和21(1946)年2月19日であった。場所は産業道路…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(26)兵士や一般国民と会話したことがなく、生活も知らなかった昭和天皇の戦後
昭和天皇は即位時から昭和20年8月15日の太平洋戦争の終わるまでの期間、陸海軍の一般兵士に会ったことはなかった。大元帥として軍事機構の大権を全て握っているにもかかわらず、兵士と会話を交わしたことはな…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(25)市民たちは決起部隊のために鎮圧部隊を押し返そうとした
歩三の第3中隊の上等兵Sの話を続けよう。Sの属する決起部隊の30人余も帰順することになり、制圧地域から兵舎に向けて行進を始めた。市中には黒山の人だかりで、決起部隊の彼らを拍手で称え、中には「ご苦労さ…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(24)市民は決起した兵士たちを「ご苦労さん」「万歳」などと出迎えた
二・二六事件の兵士たちが体験した史実をもう少し語っておく。実は決起した下士官や兵士は、多くの市民の歓迎を受けていたのである。このことは当時の政治状況が国民の支持を受けていたわけではないということも言…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(23)斎藤実殺害の罪を下士官になすりつけた“憂国”の青年将校
二・二六事件に巻き込まれた兵士の大体が、青年将校の意思は憂国の情からで、基本的には誤りとは言えないという立場のようである。しかし埼玉県が編んだ「二・二六事件と郷土兵」(埼玉県編集室)によれば、青年将…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(22)二・二六事件で岡田首相暗殺後に首相官邸で乾杯した襲撃隊
第1連隊機関銃隊の二等兵Kの話を続ける。Kは、教官の栗原安秀の動きを見ていて、近いうちに何らかの行動に出るんだなと思っていた。2月26日の午前3時半に非常呼集がかかり、実弾を手渡された時から、もう逃…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(21)埼玉県知事だった畑和が刊行した「二・二六事件と郷土兵」の肉声
日本軍の兵士たちの実像について、実は資料が豊富にあるわけではない。確かに大本営参謀や軍事指導者の手記の類いはよく刊行されている。しかしその種の書はしばしば誇張や虚偽さらには責任逃れが見え隠れしている…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(20)「安藤に伝えて欲しい。必ず自決せよ」と、秩父宮は森田に言った
二・二六事件に連座した青年将校の歩三の第6中隊長の安藤輝三は、どういうところが下士官や兵士に人気があったのか。私は歩三の将校や兵士に取材を進めたのは、昭和60年代のことであったが、70代に入っている…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(19)歩三第6中隊長・安藤輝三に見る兵士に慕われた帝国軍人の姿
事の是非はともかくとして、二・二六事件はおよそ20人の青年将校と1500人に及ぶ下士官、兵士が参加するクーデター計画であった。決起部隊は約4日間にわたり、東京の官庁街を制圧しているのだが、この決起の…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(18)隊付の将校と兵士との交流から見た二・二六事件
隊付の将校と兵士とが感情を交流させることは、しばしばありうることである。陸軍士官学校を卒業して職業軍人の道を歩むものは、20代でだいたいが隊付勤務をする。そして尉官の半ばの何年かの期間だけ、陸軍大学…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(17)軍人には2つのタイプがいる。1つはたまたま軍人を選んだケース。もう1つは…
長年にわたって、陸海軍の内部に関心を持ち、その実態を調べてきた立場から言えば、軍人には2つのタイプがいることが明白である。 1つは生来、真面目であり、自らをきちんとした道徳律で律することので…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(16)南方での決戦前、将校は病気でもないのに病院船に乗り込んできた
参謀や将校の著す戦史と兵士の著す戦闘体験との間には、基本的な違いがある。いわば命令を下した側と命令を受けて戦った兵士の側とは、単に認識の違いだけではなく、もっと本質に迫る対立が宿っているケースもある…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(15)戦友会には大本営戦史の「国営化」という役割があった
軍隊内部が平時の日常感覚と異なる原理で動いていたことは、兵士の話を聞いていくと実によくわかる。そして戦後になって軍隊内での自らの記憶や戦史の事実を、書として著すのもまた、序列があるように思われるので…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(14)日本陸軍は使いづらい兵隊を激戦地へ懲罰召集していたのだった
暁部隊について論じることは、陸軍内部の2つの問題点を浮き彫りにすることになる。1つは、すでに触れてきたように、暁部隊はある時期から将校にとって使いづらい兵隊を集める部門となったということだ。そして2…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(13)「暁部隊」は次から次へと補充されては死線に送られていた
暁部隊に配属されるということは、「死」を強要されることであった。むろん断っておかなければならないが、開戦当初はそのようなことはなかった。戦況が悪化していくにつれ、民間会社から商船を次々に提供させる段…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(12)歴史ではあまり知られていない戦闘部隊「暁部隊」
日本軍の組織原理に馴染めない者が送られた「別な部隊」とはどのような部隊なのか。 これについて、私は将校や下士官、兵士などに尋ね歩いた。その結果、ある人物に会うことができた。その人物をBとして…
-
シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(11)アウトローと上流階級、組織に馴染めない2人の行方
太平洋戦争時、日本軍の兵士たちはどのような感情を持ち、いかなる感覚で戦場での日々を過ごしたのか、それは極めて重大な意味を持つ。なぜなら戦場を支配するのは、たった一つの論理であり、「自分が生きるか死ぬ…