保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(16)日本原爆開発の実相、軍部に遅れをとった科学者たち
現実に「あ号作戦」が失敗してサイパンを失うと、東條英機首相兼陸相、そして参謀総長らの軍事指導者は、この新型爆弾に期待を寄せることになった。 こうした動きを見ていくとわかるのだが、軍事関連の指…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(15)幻の日本原爆製造計画…仁科研究室研究員の証言
日本の軍部がウラン爆弾の研究を進めていたが、それが実際に製造段階にまで至っていたかというと、必ずしもそうではない。そうした事実は、現在も正確に語り伝えられているとは言い難い。本シリーズでいくつかの点…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(14)原爆投下に「残念でなりません」大本営情報参謀の無念
テニアンから飛んできた飛行機は、実は偵察機だったのである。日本本土への原爆投下の候補地を、数日前から丹念に偵察していたのだ。だから、基地司令部に無線で連絡するのではなく、ワシントンに直接それぞれの地…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(13)大本営情報参謀・堀英三が不可解に感じたテニアンの米軍機
アメリカは戦時下にあっても、平時の社会の機能はほとんど変わりなく維持されていた。陸・海・空の軍事機構がさまざまなメーカーに大量注文を発注することなどは、投資家向け情報として普通に流通していたというこ…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(12)株価が語る戦争、天才情報将校がつかんだアメリカの動き
これまで原子爆弾の投下に至るさまざまな局面を、スケッチ風に描いてきた。まずは旧ソ連の情報工作員(KGB)の動きを証言などで追いかけてきた。実際には日本の原爆製造計画の内容とその道筋を詳細に語ろうと思…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(11)ソ連大使館員が広島に潜入できた理由と背景を考える
広島に原爆が投下された日、駐日ソ連大使館の情報工作員2人が日をおかずして広島に向かったという事実を紹介した。彼らはそこで実際に見聞した内容を詳細な報告書にまとめて、スターリンの元に送った。そのうちの…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(10)8月6日に広島に潜入した元ソ連スパイと会うことになった
前号からの続きである。憲兵隊員の話によれば、日本とソ連は中立条約を結んでおり、外交上は一定の範囲での交流があった。その条件の一つに、大使館員は大使館を中心に半径200キロないし300キロ以内を出ては…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(9)原爆投下直後の広島に潜入したソ連スパイのその後
1990年代初頭にモスクワで、KGBの退職者たちに話を聞いたときに、アメリカのマンハッタン計画を巡るスパイ合戦の凄まじさには驚かされた。まるでスパイ小説を読んでいるような場面の連続で次々と想像をかき…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(8)旧ソ連の年老いた元情報工作員が話した45年前のスパイ活動
パブでボクサーのポスターを見ていると、まだ青年の面影を持つ人物が、やはりこのポスターを眺めているのに気がついた。Dは命令どおりに「この男はチャンピオンになれるだろうか」と青年に話しかけた。青年は、「…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(7)ソ連崩壊の混乱時に私はKGBの元情報工作員に接触した
1990年代初めのことだ。ソ連の社会主義体制が崩壊し、混乱に陥った時期があった。私はその頃に何度かモスクワやハバロフスクを訪ねて、この国の実情を見たり、取材を進めた。そこで感じたことを書くのが目的で…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(6)「原子爆弾」独占への危機感が生んだ科学者たちの葛藤
マンハッタン計画に参加していたある科学者のエピソードを語っておきたい。科学者のなかには、ウラン爆弾の威力を知るほどに、これが兵器に利用されることの危険性に怯えるものも出てきた。当然なことであろう。そ…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(5)オッペンハイマーとマンハッタン計画 戦局を変えた極秘プロジェクトの全貌
アメリカは密かにマンハッタン計画を練り上げ、そして政府の方針に賛成する科学者や研究者に動員をかけていった。そのための中枢機関として、ロスアラモス研究所が設立され、そこではオッペンハイマーが責任者を務…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(4)ウラン爆弾を完成させることができなかったヒトラー
原子核が分裂することで中性子が生まれ、それがさらに爆発を続けていくきっかけになることが実験でも証明された。そこで生まれたエネルギーは、とてつもない総量になり、人類がこれまで手にしたことのない爆発力を…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(3)核の時代を拓いた科学者たちの使命と葛藤
20世紀に入っての原子物理学には、世界各国の俊才たちが、あるいは並外れた頭脳の持ち主が集まっていた。いわば最先端の学問だったのである。ヨーロッパ諸国の科学者は、国境を超えて研究の成果を競い合う関係に…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(2)人類滅亡を避けるため「核なき平和」の追求を
もう少し「89秒」について、説明を続けていこう。今年(2025年)の1月、アメリカの科学雑誌は、人類が核兵器によって自滅するまでの時間を89秒と試算して発表した。これは1945年に第2次世界大戦が終…
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シリーズ「第2次世界大戦と原爆」(1)「昭和100年」という節目に原爆を巡るドラマをひもとく
この歴史シリーズでは、日本近現代史の史実を細かく見ていくことで、私たちの先達はどのように生きたのか、それを探るのを目的としていた。私自身、この50年ほどの間に、昭和史を実証的に検証すべく多くの人々に…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(59)画兵が明らかにする米軍と交戦しなかった日本兵たちの戦後
画兵は戦場の貴重な目撃者である。彼らは確かに兵士ではあるが、上官からいつこの場面を後で絵にしておけと命じられるかわからない。従って、常に戦場の光景を丹念に観察していた。画兵の役割を与えられた兵士は、…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(58)画兵が描いたインパール作戦の現実と司令官への怒り
画兵の話をもうしばらく続けるが、悲惨な戦場の実態を筆の力で表現するのは、心理的に簡単なことではない。前回紹介したインパール作戦の現実を、日本に戻ってきてから克明に絵にしていった京都の元兵士、それを自…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(57)絵の上手な兵士「画兵」が記録した「白骨街道」の衝撃
小型マイクロホンをフルに使っての戦場での差は、天と地ほどの開きがあったと言っていいだろう。アメリカ軍の兵士の一団にはカメラマンも付き添いの役目を持ち、兵士を通しての戦場写真を撮影している。記録を残す…
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シリーズ「日本軍兵士たちの戦場体験」(56)日本兵を打ち負かした米軍の情報収集力と心理戦
戦史では語られない史実、そういう話を続けていくことにしたい。 太平洋戦争下では、日本の兵士はアメリカ軍の機械化、あるいは最新の機器を使った戦場での戦いに、驚かされたというケースは意外に多い。…