保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「占領下の日本社会」(73)戦後民主主義の原点 日米合作としての「太平洋戦争史」
昭和天皇とマッカーサーの会見により、占領政策の方向性は明確になった。そこにはいくつかの歴史的意味を強調できるのだが、あえて今後の記述の参考に2点を挙げておきたい。 1つは、マッカーサーの占領…
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シリーズ「占領下の日本社会」(72)「保守本流」の源流 奥村勝蔵への指示と吉田外交の計算
吉田茂が、天皇とマッカーサーの会見時における通訳として奥村勝蔵を名指しした意図を、もう少し深く考察してみよう。 吉田は会見に際し、天皇がいかなる発言をしようとも、マッカーサーの回想記に記され…
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シリーズ「占領下の日本社会」(71)吉田茂と奥村勝蔵は「会見」に際し。密かに「策」を練ったのではないか
吉田茂と奥村勝蔵の打ち合わせとは、どのようなものだったのか。もちろん資料や文書が残っているわけではない。しかし、当時の侍従や外務省職員らの証言を参考にしていくと、次のような光景が浮かび上がってくる。…
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シリーズ「占領下の日本社会」(70)吉田茂が「不名誉な外交官」を通訳に選んだ謎
なぜ吉田茂は、通訳に奥村勝蔵を選んだのか。この点については、これまでほとんど考察されてこなかったが、私は極めて重要な意味を持っていると考える。こうしたことを含めて、マッカーサーの回想記の記述について…
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シリーズ「占領下の日本社会」(69)「回想記」と「公文書」における天皇発言の乖離、浮かび上がる吉田茂の存在
天皇とマッカーサーの第1回の会見は、通訳の時間を除けば実質わずか20分程度である。この時間の中で、「戦争の責任一切を私が負う」との意味を含んだ発言がなされたのか、その真偽は各様に語られてきた。 …
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シリーズ「占領下の日本社会」(68)「回想記」対「公式記録」、昭和天皇マッカーサー会見論争を検証する
昭和天皇とマッカーサーの会見時に撮影された写真は、GHQ側から日本の新聞メディアへも配布された。しかし、日本側は翌日の新聞には掲載しなかった。外国メディアが一斉に報じたことを受け、それを転載する形で…
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シリーズ「占領下の日本社会」(67)なぜ天皇とマッカーサーの会見は11回に及んだのか
前号で、占領初期における最も重要なことは、昭和天皇とマッカーサーの会見(昭和20〈1945〉年9月27日)であったと説いた。この会見は日本側からGHQに持ちかけて実現したものだが、これまでの通史の記…
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シリーズ「占領下の日本社会」(66)戦後日本の出発点となった昭和天皇とマッカーサーの会見
占領前期、GHQ(連合国軍総司令部)はいかなる形で日本に民主主義政策を教え込んでいったのか。その点をまずは分析してみる必要がある。 最初に日本社会や日本人を驚かせたのは、具体的に法律に変わっ…
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シリーズ「占領下の日本社会」(65)GHQによる民主主義改革は日本のファシズムの裏返しとも言えた
占領前期、GHQは日本のファシズムの「正方形」をバラバラに解体してしまう。「教科書の国定化」「弾圧立法の運用」「言論の一元化」、そして「暴力の日常化」である。 それらは占領前期の民主主義改革…
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シリーズ「占領下の日本社会」(64)昭和24年1月、「アメリカン・デモクラシー」は理想から現実へ百八十度転換した
日本のファシズム体制を「正方形」になぞらえ、その内側に国民を閉じ込めるという特徴を持っていたと記述してきた。歴史を視覚化して理解する試みの一つだが、これとは別に、戦後の占領空間においても、GHQ(連…
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シリーズ「占領下の日本社会」(63)ファシズム体制とは、ある日、突然に生まれるものではない
東京裁判の判決文は、日本の侵略政策は「共同謀議」によって進められていたと謳い、被告たちは程度の差こそあれ、関わったとして断罪された。こうした判決文を読み解くと、あたかも当時の日本国民には何ら責任がな…
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シリーズ「占領下の日本社会」(62)巣鴨プリズン一斉釈放 処刑と恫喝で始まった「アメリカン・デモクラシー」
東京裁判に対して、マッカーサー率いるGHQ(連合国軍総司令部)の側には、実は大きな不満もあった。これまでの本連載に目を通していただければ容易に想像がつくだろうが、不満の最大の理由は、この裁判をマッカ…
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シリーズ「占領下の日本社会」(61)マッカーサーも断念した…幻に終わった東京裁判の第2次、第3次法廷
東京裁判で被告を断罪した結果、7人に絞首刑の判決が出されたが、それ以外の18人の刑がいかなるものであったか、改めて整理しておきたい。つまり、アメリカを中心とする連合国は、日本の戦時指導者たちにいかな…
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シリーズ「占領下の日本社会」(60)処刑されたA級戦犯の最期――アメリカはなぜ「遺灰」すら遺族に渡さなかったのか
東京裁判の判決、そして7人の処刑によって、太平洋戦争の軍事的決着がついた。むろん政治的、歴史的には占領が解けるまで続くわけであるが、ひとまず「戦犯」という形をとった復讐に類する儀式は終わったのである…
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シリーズ「占領下の日本社会」(59)絞首刑になった7人の最期を記した「平和の発見」はベストセラーに。教誨師・花山信勝が見た東條英機の素顔
絞首刑に処された7人の様子については、すでに記した通り教誨師の花山信勝によってある程度明らかにされている。加えて花山は、7人の最期を自分が知る限り全て記録に残そうと著作「平和の発見」を著した。この書…
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シリーズ「占領下の日本社会」(58)東京裁判の被告弁護団は、米国内で「この軍事裁判には法的根拠がない」と提訴した
前回、前々回の2回にわたり、東京裁判に関する私の取材ノートを一部ではあるが、紹介してきた。東京裁判で裁かれたA級戦犯への関心は戦後社会の空気の中で次第に薄れていった。現実の戦後の混乱期をどう生きてい…
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シリーズ「占領下の日本社会」(57)米国のいやがらせ、証言の強要――取材メモが明かす極東国際軍事裁判の虚実
東京裁判についての私の取材メモを箇条書きふうに記述を続けていきたい。 ⑤検事側の証人になり、日本の軍閥政治を暴露して、被告たちの心胆を寒からしめた軍人、田中隆吉の関係者の証言によると、東京裁判…
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シリーズ「占領下の日本社会」(56)東條英機の内省、橋本欣五郎の怒声…取材ノートが明かす東京裁判「戦犯たち」の肉声
東京裁判において、A級戦犯たちが絞首刑になった真の理由は、実は戦時法規違反の残虐行為の責任を問われたためであった。もとより、このことは表面的な記録からは読み取りにくい。しかし、海軍は一人も絞首刑にな…
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シリーズ「占領下の日本社会」(55)6人の陸軍軍人に加えてなぜ広田弘毅だったのか
実は絞首刑の判決を受けた7人は、「平和に対する罪」などの罪名については、死刑という厳しい判決は受けていない。7人に共通しているのは、戦時下の残虐行為を何よりも重視されたという一点である。半藤一利はか…
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シリーズ「占領下の日本社会」(54)東京裁判の判決で問われたのは、戦時の残虐行為に対する責任だった
アメリカを中心とする占領期の日本社会の風景を、今しばらく追いかけていくことにする。 東京裁判と、日本側が密かに考えた「戦犯自主裁判構想案」を比較しながら、戦争責任の現実を見てきたわけだが、前…
