保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「占領下の日本社会」(83)庶民との会話で「軍事」から解き放たれた人間天皇の誕生
昭和天皇が国民の前に姿を現し、自らの胸中を率直に示して戦争への反省を表明したことは、2つの勢力に異なった反応を示した。 一つはGHQ(連合国軍総司令部)内部の「ニューディーラー」たちだった。…
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シリーズ「占領下の日本社会」(82)政治家たちの「保守本流」の意識と重なった昭和天皇の「全国巡幸」
「保守本流」という言葉は、戦後の占領期政治を担った吉田茂に端を発すると解釈されるのが一般的だ。むろんこれは当たっているが、その真の起点は昭和21(1946)年1月の「人間宣言」から始まっているのではな…
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シリーズ「占領下の日本社会」(81)昭和天皇「松上雪」の御製が示した戦後「保守本流」の潮流
この人間宣言を発せられた年(昭和21年)の歌会始の御題は、「松上雪」であった。この御題に対して、昭和天皇は次のような歌を詠んでいる。 「ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松ぞををしき 人も…
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シリーズ「占領下の日本社会」(80)昭和天皇が「詔書」で「人間宣言」以上に言いたかったこととは
この宣言(「新日本建設に関する詔書」)は、前半と後半とに分かれている。前半は「五箇条の御誓文」についての説明であり、今なおこの思いをきちんと受け止めて、「独り我国のみならず全人類の為に、耀かしき前途…
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シリーズ「占領下の日本社会」(79)軍事主導体制に抑制を効かせた「五箇条の御誓文」はなぜ変質したのか
この「五箇条の御誓文」は、以下のような枠組みをもって語られている。極めて貴重な意味を持っていることがうかがえる。ここに五箇条を記しておこう(原文は片仮名だが平仮名で引用する)。 1、広く会議を…
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シリーズ「占領下の日本社会」(78)「人間宣言」の舞台裏 昭和天皇がこだわった「五箇条の御誓文」
天皇の人間宣言は、GHQ主導であったにせよ、日本側の政治指導者にも異議はなかった。神権説に執着した軍事指導者たちは、天皇を神とあがめることで、自分たちの戦争指導もより権威づけされると信じたからであっ…
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シリーズ「占領下の日本社会」(77)GHQ内部での対立、反共と軍事主義へと変容する戦後民主主義
「真相はこうだ」は好評を博したため、「真相箱」とタイトルを変えて、昭和21年12月まで続けられた。しかし「真相箱」とタイトルを変えてからは、真実の探究よりも政治的思惑が前面に出るようになった。東京裁判…
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シリーズ「占領下の日本社会」(76)敗戦直後、国民を揺さぶったGHQのラジオ番組「真相はこうだ」
一方で昭和20(1945)年12月9日、ラジオ番組「真相はかうだ」(真相はこうだ)の放送が始まった。連合国軍総司令部(GHQ)が制作したこの番組は、これまでのラジオ番組にはない内容であった。 …
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シリーズ「占領下の日本社会」(75)GHQによる「太平洋戦史」の執筆に協力した日本人たち、という歴史の謎
さらにこの「太平洋戦争史」は、日本軍閥の基本的問題点として「軍国主義者の権力乱用」「国民の自由剥奪」「捕虜や非戦闘員に対する非情な取り扱い」など枚挙にいとまがないと挙げつつ、最も重要なのは「真実の隠…
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シリーズ「占領下の日本社会」(74)「太平洋戦争史」が暴いた真実 国民に隠されていた政治の不祥事
「太平洋戦争史」の内容は、まず昭和の初期から説き起こしている。日本の軍国主義がいかに中国に軍事的関心を寄せていったか、というスタイルをつくろうとしたのだろう。かつて私は、拙著(「占領下日本の教訓」朝日…
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シリーズ「占領下の日本社会」(73)戦後民主主義の原点 日米合作としての「太平洋戦争史」
昭和天皇とマッカーサーの会見により、占領政策の方向性は明確になった。そこにはいくつかの歴史的意味を強調できるのだが、あえて今後の記述の参考に2点を挙げておきたい。 1つは、マッカーサーの占領…
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シリーズ「占領下の日本社会」(72)「保守本流」の源流 奥村勝蔵への指示と吉田外交の計算
吉田茂が、天皇とマッカーサーの会見時における通訳として奥村勝蔵を名指しした意図を、もう少し深く考察してみよう。 吉田は会見に際し、天皇がいかなる発言をしようとも、マッカーサーの回想記に記され…
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シリーズ「占領下の日本社会」(71)吉田茂と奥村勝蔵は「会見」に際し。密かに「策」を練ったのではないか
吉田茂と奥村勝蔵の打ち合わせとは、どのようなものだったのか。もちろん資料や文書が残っているわけではない。しかし、当時の侍従や外務省職員らの証言を参考にしていくと、次のような光景が浮かび上がってくる。…
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シリーズ「占領下の日本社会」(70)吉田茂が「不名誉な外交官」を通訳に選んだ謎
なぜ吉田茂は、通訳に奥村勝蔵を選んだのか。この点については、これまでほとんど考察されてこなかったが、私は極めて重要な意味を持っていると考える。こうしたことを含めて、マッカーサーの回想記の記述について…
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シリーズ「占領下の日本社会」(69)「回想記」と「公文書」における天皇発言の乖離、浮かび上がる吉田茂の存在
天皇とマッカーサーの第1回の会見は、通訳の時間を除けば実質わずか20分程度である。この時間の中で、「戦争の責任一切を私が負う」との意味を含んだ発言がなされたのか、その真偽は各様に語られてきた。 …
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シリーズ「占領下の日本社会」(68)「回想記」対「公式記録」、昭和天皇マッカーサー会見論争を検証する
昭和天皇とマッカーサーの会見時に撮影された写真は、GHQ側から日本の新聞メディアへも配布された。しかし、日本側は翌日の新聞には掲載しなかった。外国メディアが一斉に報じたことを受け、それを転載する形で…
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シリーズ「占領下の日本社会」(67)なぜ天皇とマッカーサーの会見は11回に及んだのか
前号で、占領初期における最も重要なことは、昭和天皇とマッカーサーの会見(昭和20〈1945〉年9月27日)であったと説いた。この会見は日本側からGHQに持ちかけて実現したものだが、これまでの通史の記…
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シリーズ「占領下の日本社会」(66)戦後日本の出発点となった昭和天皇とマッカーサーの会見
占領前期、GHQ(連合国軍総司令部)はいかなる形で日本に民主主義政策を教え込んでいったのか。その点をまずは分析してみる必要がある。 最初に日本社会や日本人を驚かせたのは、具体的に法律に変わっ…
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シリーズ「占領下の日本社会」(65)GHQによる民主主義改革は日本のファシズムの裏返しとも言えた
占領前期、GHQは日本のファシズムの「正方形」をバラバラに解体してしまう。「教科書の国定化」「弾圧立法の運用」「言論の一元化」、そして「暴力の日常化」である。 それらは占領前期の民主主義改革…
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シリーズ「占領下の日本社会」(64)昭和24年1月、「アメリカン・デモクラシー」は理想から現実へ百八十度転換した
日本のファシズム体制を「正方形」になぞらえ、その内側に国民を閉じ込めるという特徴を持っていたと記述してきた。歴史を視覚化して理解する試みの一つだが、これとは別に、戦後の占領空間においても、GHQ(連…
