保阪正康 日本史縦横無尽
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(50)東條英機が戦時下で豪語した「国民無色」論
本土決戦(九州、関東)の構想を見ていくと、軍事指導者の戦争論がどのようなものであったのかが、全く不明である。その目的も何のためか、が曖昧である。私はこのことについて、近代日本の歴史的欠陥を感じるのだ…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(49)「本土決戦」が戦争継続の道へと走らせたのだった
戦時用語としての「本土決戦」という語を通してうかがえるさまざまな光景を見てきた。今年は「昭和100年」という節目の年でもあり、本土決戦という語には、当事者の意思を超えた史実がまだいくつも伏せられてい…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(48)旧ソ連大使館員の背後にちらつく日本政府の影
私は、この件について軍人や外交官などからも聞いて歩いた。昭和の終わり頃である。すでに40年以上も経っていて、しかもさまざまな資料にも残っていないだけに、全ては事実として確認はできない。旧ソ連にせよ、…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(47)ソ連大使館員はなぜ、広島に行けたのか
8月6日の広島への原子爆弾のあと、駐日ソ連大使館の館員2人が広島に赴いた史実について、もう少し話を進めよう。ここには重大な意味が隠されているようなのだが、いまだ十分に調べられているとは思えないからだ…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(46)新型爆弾投下後、旧ソ連大使館員2人が広島に向かった
1945年7月から8月にかけて、原爆開発・製造の歴史上の史実を点検していくと、私たちには知らされていない事実がいくつかあることに気がつく。そのうちの2つを、私の取材体験から語っておきたい。前回はその…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(45)旧ソ連の諜報部員は「マンハッタン計画」をつかんでいた
スターリンの内心は、いかなるものであったか、それを私(保阪)は1990年代初めに知らされた。スターリンは、好悪の感情は別にして、ソ連の国家としての運命を救ったのは事実であろう。むろん民主的に、あるい…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(44)アメリカは原子爆弾をどこに落とそうとしたのか
原子爆弾の投下地をどこにするか--アメリカ軍事機構の指導者がその候補地を探している1945年7月のことだ。実際に無警告で投下すると決めてからは全ての歯車が動き始めたのである。当初は日本への無差別攻撃…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(43)日本の本土決戦派と米国政府の類似点
1945年4月12日に、ルーズベルトは急死した。あとを継いだのは副大統領のハリー・トルーマンであった。トルーマンには対ドイツへの戦略、そして対日戦の本州への上陸など、次々に知らされていった。実際に副…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(42)日本本土上陸を計画した幻の「ダウンフォール作戦」
実はアメリカ軍は、ドイツ降伏後に九州、関東など日本本土への上陸作戦の検討に入った。すでに計画案はできていて、それは「ダウンフォール作戦」と呼ばれた。日本を全面降伏させるという案であった。この作戦は2…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(41)本土決戦は実際に行われていたのだ
戦時用語としての「本土決戦」という語を分析して解説を記しているわけだが、ここでさらにこの語に伴う史実を紹介していくことにしたい。その前に、本土決戦は実際に行われていたのだが、私たちはそのことにいささ…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(40)軍事指導者が持っていた独特の戦争観
本土決戦という語をさまざまに分解して見ていくと、図らずも私たちの国の奇妙な発想が浮かび上がってくる。このシリーズではその浮かび上がってくる国民性や国家観の構図を考えてみたい。あえてまず2つの歪みを語…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(39)亡国の輩が呼号した「本土決戦」のまやかし
戦時用語の6番目は「本土決戦」である。この語に潜んでいるさまざまな意味を、私たちは読み取る必要がある。昭和20(1945)年8月の段階で、本土決戦を呼号していた軍事指導者は、実は「愛国者」のふりをし…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(38)隣組の誕生とともに急速に進んだ天皇の神格化
天皇の神格化が急速に進むのは、昭和12(1937)年ごろからである。小学校では御真影を奉護するための奉安殿が設置されていく。さらにこの年5月には文部省から、「国体の本義」という冊子が刊行されている。…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(37)もし本土決戦になっていたら隣組はどうしたのだろう
入営した兵士は、いくつかのパターンがある。もっとも兵士としての循環は、故郷をまさに歓呼の声に送られて入営すると、「天皇の軍隊」としての奉仕を徹底的に叩き込まれる。上等兵への奉仕もそのひとつであり、暴…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(36)帝国陸軍が生んだ暴力の連鎖
「隣組」についてもう少し話を進めよう。いわば銃後の一般社会ではなく、軍隊内の兵営を隣組とみて分析していくと、もう少し戦争が延びたならば、やがて隣組が兵営となっていったと思われるのだ。 兵営とは…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(35)本土空爆で生き残った日本人たちとは
戦争末期、アメリカ軍のB29は自在に日本本土を爆撃したが、その折に事前に予告ビラを投下している。何月何日の午後何時にこの都市に爆弾を落とすという内容である。日本の軍事政権は、こうしたビラを「見るな、…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(34)「模範的国民」ゆえ、米軍の空爆を受けた
もうひとつ、具体例を挙げる。これは関東地方のある中小都市の話である。戦争末期になると、日本国内のどこかはアメリカ軍のB29による爆撃を受けることになった。制海権、制空権とも全てがアメリカ軍に移ってい…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(33)負傷兵を自殺に追い込んだ「隣組」の恐怖
近代史を調べていてなんとも納得できないのは、昭和10年代は日本史全体の中でも異様な空間だったということだ。例えば、ということになるが、日中戦争から太平洋戦争に至るプロセスを見ていて、軍部(特に陸軍)…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(32)隣組の班長は「小役人」でもあった
隣組のイメージは、硬軟両面がある。それをもう少し詳しく述べよう。 まずこの隣組は、歴史的に見るならば、国が国民を指導、管理、そして支配するという意味でもあった。国家の意思を末端まで伝えようと…
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シリーズ「昭和の亡霊・7つの戦時用語」(31)大政翼賛会の末端組織としての「隣組」
戦時用語の第4弾は「隣組」である。江戸時代の「五人組」と同種の用語である。国民を相互に監視させて、時の政府の政策に協力させる用語とも言えるであろうか。 この隣組が正式に用いられるようになった…