森本毅郎85歳 今も毎日生放送!
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【13.決心】長嶋茂雄さんが語った「守備の神髄」
去る6月3日、長嶋茂雄さんが亡くなった。私より3歳ほど年長だが、同時代を生きてきたという思いが改めて強まる。 訃報の翌日、朝のラジオでも話したのだが、私の部屋には長嶋さんから贈られた色紙があ…
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【12.クロンカイトの危惧】米CBSニュースCEOの電撃辞任は対岸の家事ではない
この5月、アメリカCBSニュースのCEO、ウェンディ・マクマホン氏が電撃辞任する事態となって波紋を呼んでいる。辞任の背景は大きく2つ。1つはトランプ政権との確執である。昨年、まだバイデン政権時代にハ…
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【11.ヤッコさん】聴き上手から読み手のエキスパートへ
朝のラジオ「スタンバイ!」では番組始まって以来、遠藤泰子さんとコンビを組んでいる。35年も変わらず、2人とも80代というのはギネスものだね、と揶揄されるから言っておくが、アメリカにはもっと長いコンビ…
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【10.話す力、聴く力】言葉には武器にも勝る力がある
新たな教皇レオ14世の就任ミサがバチカンのサンピエトロ広場で開かれた。ミサの終わりに「戦争で荒廃したウクライナは、公正で永続的な平和のための交渉を待っている」と、寄り添う姿勢を見せたが、これから先、…
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【9.なっちゃん】フジテレビのお偉方に「小島奈津子起用」を直談判
なっちゃんこと小島奈津子さんとの付き合いも長くなった。フジテレビの日曜夜の情報番組「スーパーナイト」でコンビを組んだのが最初だから、もう28年も前のことになる。当時、小島さんは「めざましテレビ」の総…
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【8.お引っ越し】若者シフトに抵抗し、大人のための番組をつくりたい
「噂の!東京マガジン」が地上波からBS-TBSに移って丸4年が過ぎた。時の経つ早さが恐ろしい。80代の半ばともなればいつお迎えが来るか分からないからだ。地上波で番組が終わった時、「これまで都市再開発や…
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【7.おかしさの向こう側】36年の長寿番組「噂の!東京マガジン」取材から見えてきたもの
TBSテレビ「噂の!東京マガジン」は1989年10月から始まった。2021年3月に地上波の放送は終了したが、その後はBS-TBSに移り通算で36年目に入っている長寿番組だ。 36年前、第1回…
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【6.苦吟の2分】安保関連3文書閣議決定の翌日、渡辺白泉の俳句を紹介した
「スタンバイ!」で私が自由に話せる時間帯は番組オープニングの3、4分と、7時前の「朝刊読みくらべ」という2分間のコーナーである。この2カ所はディレクターもコメンテーターもタッチしない。冒頭で何を話すか…
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【5.生きていることば】NHK第16代会長の川口幹夫さんは「番組に毒を盛ろう」と提案した
放送人生活62年のうち、NHKには21年在籍した。1963年に入局し、地方勤務9年、東京に戻ったのは1972年、33歳のときだった。東京のNHKがまだ内幸町にあった時代である。当時、地方局のアナウン…
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【4.5歳の記憶】ガザの瓦礫を見るたびに焦土と化した東京を思い出す
戦争が激しくなった1944年の冬、我が家は家族分散で長野に疎開した。上の姉や兄は東京に残り、当時5歳の私と2人の姉が両親に連れられて善光寺裏の横沢町に借りた家に移ったのである。父と母は交代で東京の家…
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【3.選球眼】新聞をめくると、記事が浮かんで目に飛び込んでくる
「森本毅郎・スタンバイ!」は月曜から金曜までの朝6時半にスタートする。私の起床はスマホの目覚ましで4時10分と20分にセットされているが、最近はベルが鳴る前に大抵は目を覚ます。というより、前夜から朝ま…
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【2.コメンテーターズ・ショー】60歳を過ぎてからよそ見をしなくなった
「森本毅郎・スタンバイ!」が始まった1990年当初、コンビを組んだ遠藤泰子さんと話していたのは「せめて3年は続くといいね」という願望だった。「三日、三月、三年といいますからね」と、泰子さん。 …
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【1.節目】気が付いたら『森本毅郎・スタンバイ』は34年7カ月続けて9000回
昨年11月11日、私が担当しているTBSのラジオ番組「森本毅郎・スタンバイ!」が9000回を迎えた。月曜から金曜まで毎朝6時半から8時半まで「聴く朝刊」をコンセプトにしている朝の情報番組だ。放送が始…