五木寛之 流されゆく日々
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連載10051回 戦前 戦中の短い記憶 <1>
私はタンゴが好きだった。いまでもタンゴの音色をきくと、血が騒ぐところがある。 タンゴという音楽が全世界に流行したのは、ごく短い年月だった。1920年代半ばから30年代の前半といっていいのではある…
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連載10050回 「新国家主義」の幕開き <5>
(昨日のつづき) 人間は「忘れる動物」である。 これだけは絶対に忘れまいと心に誓っていても、10年もたてばたちまち忘れてしまう。しかし、もし人間が決して忘れることをしなかったなら、たぶん生きて…
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連載10049回 「新国家主義」の幕開き <4>
(昨日のつづき) 民族主義と国家主義とはちがう。しかし、紙一重のところで両者は接しているところがある。 国民国家がグローバルな市場国家となり、その反動として体制国家が登場する。グローバリゼイシ…
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連載10048回 「新国家主義」の幕開き <3>
(昨日のつづき) あたりはしんと静まり返っている。ひげの男たちが肩を組み合ったり、頬を寄せあって舞台をみつめている姿が見える。 「いったいどういうショウをやるんですか」 と、スタッフの一人が…
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連載10047回 「新国家主義」の幕開き <2>
(昨日のつづき) 勝手に「新国家主義」などと呼んだ風潮は、すでに数十年前から世界の各地できざしていた流れである。それが最近、急激にあらわになっただけのことだ。 かなり昔のことになるが、『燃える…
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連載10046回 「新国家主義」の幕開き <1>
トランプがアメリカ大統領になる。正直に言って、なんだかんだといっても、結局、クリントンだろうと思っていたのだ。メディアもこぞってクリントンを推した。反トランプの声も大きい。そんな流れの中で、最後はト…
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連載10045回 金沢はめずらしく晴れ <5>
(昨日のつづき) ギックリ腰は3日目を迎えても、まだ立去ってはくれない。魔女の一撃とよく言うが、原因はわかっている。机の前に長時間坐り続けたことの報いである。左脚をかばい過ぎて、腰に負担がかかった…
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連載10044回 金沢はめずらしく晴れ <4>
(昨日のつづき) 今朝、起きたらギックリ腰がさらに悪化している。ベッドから起きあがれない位の痛みである。 スケジュール表では、本日、夕方7時から新潮社の本社ホールで新潮講座の講演が予定されてい…
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連載10043回 金沢はめずらしく晴れ <3>
(昨日のつづき) 金沢から帰ってきた日の夜から、しきりに腰が痛みだした。 2時間半の新幹線とはいえ、ずっと坐りっぱなしだったのが良くなかったのかもしれない。 人類は坐ることで滅亡するという…
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連載10042回 金沢はめずらしく晴れ <2>
(昨日のつづき) 金沢から帰ってきて、一日おいた今日、夕方からNHKの番組の仕事でロバート・キャンベルさんと対談。 キャンベルさんとは初対面だが、以前、国文学系の雑誌でわが国の漢詩文に関する意…
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連載10041回 金沢はめずらしく晴れ <1>
泉鏡花文学賞の授賞式に参加するため、北陸新幹線で金沢へ。 あれこれと雑用が重なっていて、なかなかスケジュール調整がむずかしい。一時は朝の新幹線で金沢へ行き、授賞式を終えたあと最終便で帰ってくるこ…
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連載10040回 昭和ヒトケタ派の残影 <4>
(前回のつづき) しかし、昭和ヒトケタといっても、実は百人百様である。同じ時代を共有していながら、驚くほどその周囲の状況は異るのだ。 私より1、2歳年上のある現代史家は、戦時中、父親から「この…
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連載10039回 昭和ヒトケタ派の残影 <3>
(昨日のつづき) 前回、高井有一さんと会ったのは、やはり坪田譲治文学賞の選考の席でだった。 そのとき、高井さんは、椅子に坐ったり立ったりするのが、かなり不自由な様子だった。 「では、お先に失…
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連載10038回 昭和ヒトケタ派の残影 <2>
(昨日のつづき) いま、この原稿を公衆電話のあるコーナーで立ったまま書いている。仕事の都合で、部屋へもどって書く時間がなくなってしまったのだ。四十数年、こんなふうにしてこのコラムを書き続けてきた。こ…
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連載10037回 昭和ヒトケタ派の残影 <1>
高井有一さんの訃報を聞いた。 なんとも言えない暗愁をおぼえて、しばらくぼんやりしていた。 立松和平さんや鈴木いづみさんなど、私より若い作家の死を知らされたときの衝撃とは、また違う感慨である。…
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連載10036回 CMソングからの旅立ち <9>
(昨日のつづき) ひとつの季節が終ろうとしていた。 20代から30代にかけての10年間は、私の放浪時代といってもいいだろう。 九州から上京したのが、1952年(昭27)である。20代に踏み…
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連載10035回 CMソングからの旅立ち <8>
(昨日のつづき) 一般日本人の海外渡航が自由化されたのは、1964年である。それまではフルブライト留学生とか、政府の公式の職員ぐらいしか勝手に海外へは出られなかったのだ。 あれこれ出発のプラン…
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連載10034回 CMソングからの旅立ち <7>
(昨日のつづき) CMソングのライターをやっていた時代を、第1期とすれば、レコード会社の専属作詞家として童謡やその他の歌を書いていた時期は第2期ということになろうか。 なんとなく、そう、本当に…
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連載10033回 CMソングからの旅立ち <6>
(昨日のつづき) 永六輔/中村八大の六八コンビの歌が巷にあふれていた。その中でも、ことに印象ぶかかったのが、『遠くへ行きたい』だった。中村八大さんは、外地で生まれ育ち、戦後、内地へ引揚げてきた外地…
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連載10032回 CMソングからの旅立ち <5>
(前回のつづき) 時代は激しく動いていた。その頃のことを、私はこんなふうに書いている。 〈(前略)ケネディが暗殺され、その翌月には力道山が刺された。二十二歳のカシアス・クレイは「蝶のように舞い、…