五木寛之 流されゆく日々
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連載10473回 あの夏を遠く離れて <3>
(昨日のつづき) 終戦というか敗戦というか、とにかく戦争が終ったのは昭和20年の夏だった。 8月15日が終戦の日とされている。私たち中学生も、その日、ラジオ放送で天皇みずから戦いが終ったことを…
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連載10472回 あの夏を遠く離れて <2>
(昨日のつづき) 山口放送制作の『記憶の澱』というドキュメント番組についての感想の続きである。 この番組を視て、私は年来の自分の主張を、あらためて確信するところがあった。 すなわち「戦争」…
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連載10471回 あの夏を遠く離れて <1>
今年も8月がやってきた。新聞もテレビも雑誌も、ジャーナリズムがこぞって戦争特集・敗戦特集を組むシーズンである。 恒例の“戦後祭り”といった感じだ。 敗戦から七十数年もたつと、記憶も風化してく…
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連載10470回 年齢差七〇歳の対話 <5>
(昨日のつづき) 早稲田の文芸・ジャーナリズム系の学生たちとの対話では、さすがに専門的な質問もでた。なにしろ不勉強な人間なので、彼らに十分な答えを返す余裕はなかったのだが、その中では、翻訳について…
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連載10469回 年齢差七〇歳の対話 <4>
(昨日のつづき) エンターテインメントというのは、読んだり、観たりした後に、なんとなくスカッとした気分になれることが大事らしい。 毎日の生活で疲れ果てているのに、さらに厳しいリアルを突きつけら…
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連載10468回 年齢差七〇歳の対話 <3>
(昨日のつづき) 灘高生からの質問のなかで、ほう、と思ったのは、こんな質問だった。 ――さっきの「時代に対する表現者」という言葉に関係してくるかもしれませんが、かつての小説家には自殺を図った…
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連載10467回 年齢差七〇歳の対話 <2>
(昨日のつづき) 『七〇歳年下の君たちへ』の中には、灘高生たちとの対話のほかに、<「転がる石」として生きる>という第3章がはいっている。 これは早稲田の文化構想学部の学生たちとの対話である。その…
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連載10466回 年齢差七〇歳の対話 <1>
『七〇歳年下の君たちへ』という、変った題名の本を出した。 「七〇歳年下の君たち」とは一体だれのことか、と、不思議に思う読者もいるだろう。版元の新潮社のほうで頭をひねってつけた書名だが、著者本人も苦笑…
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連載10465回 百年人生の行きかた <5>
(昨日のつづき) 長く生きれば、体の衰えを感じるのは当然だ。百年人生といっても、それは医療や社会保障の成長とともに寿命が不自然にのびた結果にすぎない。 平均寿命がのびたからといって、人間の体が…
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連載10463回 百年人生の生きかた <3>
最近、健康情報のなかで最も混乱しているのは、血圧をめぐる論議だろう。 かつては上の血圧は、年齢プラス80、というのが普通だった。これだと50歳の人は130、70歳だと150あたりが普通である。 …
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連載10462回 百年人生の生き方 <2>
(昨日のつづき) 百年人生時代となれば、まず第一は健康だろう。病気と闘いながら長く生きるのは、罰を受けるようなものだ。 少くとも、ある年齢までは元気に生きなければならない。生死の覚悟もフィジカ…
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連載10461回 百年人生の生き方 <1>
最近、〈百年人生〉という言葉を耳にしても驚かなくなった。〈人生五十年〉が常識だった時代には、〈百年〉などという表現は冗談みたいなものだった。それが今では、当り前のように使われている。 これまで何…
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連載10460回 本にしなかった原稿 <5>
(昨日のつづき) 1966年に新人の小説家としてデビューする前は、<のぶ・ひろし>というペンネームで文章を書いていた。 この時代の原稿は、ほとんど本になっていない。それは自分で再読しても、あま…
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連載10459回 本にしなかった原稿 <4>
(昨日のつづき) 金沢の香林坊の柳の木の下に、小さな碑が立っている。気がつかない人が多いだろうが、それが小松砂丘の句碑である。 小松砂丘は俳人であり、画家であり、また天性の詩人でもあった。 …
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連載10458回 本にしなかった原稿 <3>
(昨日のつづき) 富士正晴さんについての文章は、その画展を見た感想へと続く。 <(前略)さて、そんな富士正晴さんの画業について、私が余計な言葉を書きつらねることはないだろう。 富士さんの絵を…
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連載10457回 本にしなかった原稿 <2>
(昨日のつづき) いまから30年あまり前に書いた文章というのは、『垂手の画人』という題の短い原稿だ。 「垂手」というのは、禅のイラスト画集『十牛図』の中の文句である。禅の思想の深まりを絵に託して…
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連載10456回 本にしなかった原稿 <1>
60年以上も売文業を続けてきた。書かずにいられなくて書いた文章もあるが、注文を受けて書いた原稿が多い。 そんな無数の雑文の約半分くらいは、単行本に収録されている。だが、何かに発表したまま消えてし…
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連載10455回 断捨離はむずかしい <4>
古い靴だけではない。数多く山積みになっているのは、服とかシャツのたぐいだ。ダンボール箱にくしゃくしゃになって押込まれている衣類は、もう二度と着ることがないものばかりである。 捨てるならまっ先…
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連載10454回 断捨離はむずかしい <9>
(昨日のつづき) そんな無用の靴たちを、なぜキッパリと捨てることができないのか。 それには理由がある。一足、一足の靴に自分の過去何十年かの思い出というか、記憶がしみついているからだ。 一足…
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連載10453回 断捨離はむずかしい <2>
禅の修行僧たちの暮らしぶりは、まさに断捨離そのものだ。それでも人は十二分に生きていく。 必要なモノはなんだろう。「起きて半畳 寝て一畳」などという。本当はそれで十分なのである。 私は…