五木寛之 流されゆく日々
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連載10549回 師走の街に風が吹く <3>
(昨日のつづき) 決死の覚悟で午前10時に起きた。 昨夜というか、早朝6時にベッドインしたので、3、4時間しか寝ていない。 北陸新幹線で金沢まで2時間半ちょっとというのは、有難いような、残…
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連載10548回 師走の街に風が吹く <2>
(昨日のつづき) 今日は午後、『週刊現代』の取材。 昔は週刊誌のスタッフといえば、荒くれ男というか、ちょっとアウトロー的な男たちが多かったが、今は昔、最近では様変りして若い女性編集者と大人のラ…
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連載10547回 師走の街に風が吹く <1>
すでに12月だ。一年が早く過ぎる、というのは高齢者の感慨かと思っていたら、そうでもないらしい。 スターバックスの店で、高校生とおぼしき少女たちが、 「一年たつのが早いよねえ」 「マジ早い。ど…
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連載10546回 歴史は信じられるか <5>
(昨日のつづき) 今回のノーベル賞の先生が、「教科書をも疑え」と、いいことを言っている。 すべての学問は日進月歩である。3年前の医学の教科書は役に立たない、と断言する医師もいた。 これは科…
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連載10545回 歴史は信じられるか <4>
(昨日のつづき) 後になって定説となる同時代史に大きな違和感をおぼえることを書いた。それが明治時代や江戸時代ともなれば、その誤差はかなり大きなものとなるのではあるまいか。 現実社会に「表」と「…
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連載10544回 歴史は信じられるか <3>
(昨日のつづき) 歴史がちがう、というのは現在、書かれて常識となっているものと実感がずれているということだ。 卑近な例をあげると、テレビなどで<懐しのメロディー>みたいな番組がある。いくつもの…
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連載10543回 歴史は信じられるか <2>
(昨日のつづき) この「事件」「事変」「出兵」などと、「戦争」という表現とは、どうちがうのだろうか。「支那事変」が「日中戦争」と呼ばれるようになったのは、いつ頃からのことだろうか。のちに「大東亜戦…
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連載10542回 歴史は信じられるか <1>
過去について書かれた本を読むたびに、心をかすめる黒い影がある。 <それは本当だろうか?> と、いう疑問である。 ことに近過去というか、明治以降の歴史について、そう感じることが多い。 い…
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連載10541回 世を嘆くということ <4>
(昨日のつづき) 人間は愚かしい存在だ。自分のことを考慮に入れなくても、つくづくそう思う。 戦争と平和。 それ一つとってみても、人間は戦争をする動物だと感じる。もちろん、戦争は人類最大の悲…
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連載10540回 世を嘆くということ <3>
(昨日のつづき) 昔、中国に屈原という男がいた。大変な秀才であったらしく、当時の楚の国政にも参加し、王にも深く信頼された。 しかし、その才をねたむ連中に讒言されて、地位を追われる。 よくあ…
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連載10539回 世を嘆くということ <2>
(昨日のつづき) 苦労した人間は、ふた通りの生き方をする。 一つは、世を怨み、世間にすねて暮すタイプである。 もう一つは、どんなときにも不平を言わず、つとめて明るく生きようとする人たちであ…
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連載10538回 世を嘆くということ <1>
「嘆く」というのは、残念に思ったり悲しんだりすることだ。 「ため息」は「嘆息」である。 有名な『歎異抄』というのは、親鸞の弟子の唯円という人物が、師の死後、その教えが歪んで流布していることを嘆い…
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連載10537回 「弾丸列車」で大阪へ <2>
(昨日のつづき) 大阪駅のエスカレーターで、左側に立っていたら、うしろから右側へ押しやられた。 しばらく大阪へこなかったので、大阪式のエスカレーター利用のマナーを忘れていたのである。 東京…
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連載10536回 「弾丸列車」で大阪へ <1>
今日は頑張って午後3時に起きた。 ふだんは午前6時就寝、午後2時起床の規定正しい生活を50年以上つづけてきているのだが、ときどき不規定な日がはさまる。というのは、明日、大阪で講演をするので、今日…
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連載10535回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <8>
(昨日のつづき) 『ゲンロン2』の小特集「現代日本の批評Ⅱ」では、1989年から2001年までの思想界の展望がきわめて興味ぶかく語られていて、半分くらいは理解できた。マンガとかテレビについても言及さ…
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連載10534回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <7>
(昨日のつづき) 前にも書いたように、「ゲンロン」所載の論文類は、ほとんど難しくて私には歯が立たなかった。だが、対談、インターヴュー、座談会形式の記事は理解できないままに舞台を見ているような面白さ…
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連載10533回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <6>
(前回のつづき) 書店でみつけた「ゲンロン」を順不同に目を通していて「ゲンロン0」(観光客の哲学)を読んだときには、「これは『ゲンロン』というより『ブンロン』じゃないか」と思った。全編、東浩紀さん…
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連載10532回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <5>
(昨日のつづき) ところで『ゲンロン』という不思議な雑誌をはじめて手にとったのは、何年か前のことである。三田の「あゆみ書房」という書店の棚でみつけたのだ。その店は夜の11時過ぎまで営業しているので…
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連載10531回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <4>
(昨日のつづき) 父親の上昇志向は、世のエリート知識人の仲間入りをすることではなかった。せいぜい「亜インテリ」に分類される中間知識人のやや上のあたりに加わりたいといった、しがない望みだったと思われ…
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連載10530回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <3>
(昨日のつづき) これまで何度も書いたことだが、その寒村での暮しは、両親にとってかなり辛いものであったらしい。 名前だけは校長でも、日本人の生徒が一人もいない普通学校だった。当時、日本語が強制…
