保阪正康 日本史縦横無尽
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ガダルカナル戦で日本兵2500人が一夜にして全滅した理由
太平洋戦争の第2期ともいうべき昭和17年6月から翌18年4月までの間は、「挫折」の期間といえるだろう。そのつまずきの第一歩はミッドウェー海戦であり、続いての負け戦はガダルカナル戦であった。 …
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全艦沈没。山口多聞、加来止男とともに飛龍は海中に消えた
日本海軍の空母4隻はいずれも急降下爆撃を受けた。空母は見張り役が四方に目を光らせているが、彼らが「急降下編隊、真上」と言った時にはもう防御の手段はなかった。 雷撃隊用に兵装を変えていたので、…
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「運命の5分間」で日本の空母4隻は燃えさかる地獄となった
淵田美津雄が「運命の5分間」という表現を使ったのには意味がある。南雲艦隊の空母4隻がアメリカ軍の艦隊への攻撃からミッドウェー基地攻撃へ、そして再び艦隊攻撃へと兵装を戻す作業が「赤城」の場合はあと5分…
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アメリカ海軍の主力が日本の空母が来るのを待ち構えていた
南雲部隊の空母では第2次攻撃隊が、アメリカの艦隊との決戦に備えての兵装を進めていたが、索敵機からの電報がないためミッドウェー島の基地を叩く陸上攻撃用に兵装を変えた。艦隊はいないと判断しての処置だった…
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ミッドウェー島への第2次攻撃を準備中に敵機動部隊を発見
ミッドウェー海戦時の日本とアメリカの海軍の質と量を比較すると、圧倒的に日本が優勢であった。「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の正規の航空母艦を軸にした日本の機動部隊に対し、アメリカ海軍は「エンタープラ…
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米国は暗号解読で日本軍がミッドウェーに来ると読んでいた
山本に示された作戦計画は、連合艦隊の首席参謀である黒島亀人が中心になり、参謀総員でまとめられた。いわば山本の子飼いの参謀たちの戦略ともいえた。作戦計画の骨子は、第1にミッドウェー島を攻撃して占領し、…
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ミッドウェー海戦と山本五十六の戦死で「挫折」を迎えた
太平洋戦争の第1段階である「勝利」の期間について、個別にいくつかの史実を見てきた。結論風に言えることは、軍事が軸になって、政治が機能していない点にあった。講和を模索することなど考えてもいない。そして…
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米軍の爆撃機16機に50人を殺されたドウリットル作戦の衝撃
開戦から4カ月後、昭和17年4月18日のことだが、日本社会は初めて戦争の現実に触れることになった。アメリカ軍の決死隊によって、東京を中心とする一帯が爆撃を受けたのである。日本本土にアメリカ軍の飛行機…
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司令官だった山下奉文の「イエスかノーか」伝説に残る疑惑
太平洋戦争の期間は3年8カ月だったが、その第1段階の「勝利」の期間の軍事行動にも触れておこう。陸軍のマレー上陸作戦を主導したのは山下奉文を司令官とする第25軍で、その隷下には第5師団、第18師団、そ…
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史実が浮かび上がらせる 開戦の通告が遅れた5つの問題点
通告なしに軍事攻撃を行ったことで結果的に日本の立場は著しく弱まった。この不始末はアメリカ側に徹底的に利用された。「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」が合言葉になり、それは現在まで続いて…
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ハルは日本の外交文書の内容を知らないような演技をした
太平洋戦争を5段階に分けて考え、その最初の「勝利の時期」にどのような史実があったのかを語っているのだが、ここでワシントンの日本大使館の通告がなぜ遅れたのかを説明しておこう。松岡洋右が近衛内閣で外相に…
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7日午前7時、14回目の電報で日本大使館は混乱状態に陥った
山本五十六が隷下の機動部隊が真珠湾攻撃を始めた時にまず案じたのは、ワシントンの日本大使館が外交断絶の文書を事前にアメリカの国務省に手渡しているだろうかということだった。それを部下の政務担当参謀に執拗…
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山本五十六は真珠湾攻撃が「だまし討ち」になるのを恐れた
連合艦隊司令長官の山本五十六は、この日(12月8日)は旗艦・長門の長官室で参謀たちからの報告を聞く一方で、自らのこれからの処し方を考えていた。 真珠湾への先制攻撃自体は成功しているが、さらに…
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吉田茂は姑息な「ハル・ノート」のカラクリを見抜いていた
有田八郎や吉田茂ら外交畑の要人は、軍部に徹底した不信感を持っていた。従って開戦の契機になった「ハル・ノート」についても、軍事の側の訳文に不信感をあらわにしていた。開戦前、軍部はひたすら「アメリカ側か…
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米内光政のグループは「軍事的勝利ありえない」で一致した
太平洋戦争は外交が軍事に屈服した結果であった。外交の当事者たちは挫折感、敗北感に打ちひしがれていた。開戦に踏み切るまでにもっと有効な手立てはなかったのか、それが昭和10年代を担った外務省関係のスタッ…
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「これでルーズベルトは失脚だ」と東條首相は上機嫌だった
太平洋戦争の第1段階である「勝利の時期」に見られた現象や現実をいくつか選び、日本はこの戦争でどのような失敗、成功の素顔を見せているのかを検証していこう。そのために折々の近現代史との対比を試みつつ考え…
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3年8カ月の戦時期間 日本は真珠湾攻撃から5段階を経て敗北
太平洋戦争は昭和16(1941)年12月8日から20(1945)年8月15日まで続いた。もっとも、法的には9月2日に日本が降伏文書に調印してやっと終わったということができる。ともかく3年8カ月が戦時…
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明治天皇はなぜ戦争に対し消極的でなおかつ恐れたのか?
明治天皇はこの国を鎖国から解いて一等国にしたとの理由で「大帝」と呼ばれたりもする。剛直で揺るぎない信念の持ち主であるかのように語られてきた。実際にそのような性格を持ちあわせているのは間違いない。しか…
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日露戦争時 東條と青年将校“一体化”における天皇観の違い
日露戦争時の指導者たちと太平洋戦争時の指導者の比較を試みたとき、もっとも気になるのが天皇への態度である。天皇にどのように接したか。つまり、軍事の最高責任者である大元帥の天皇の名において戦略と戦術の一…
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「国民は灰色だ。白にでも黒にでもなる」と東條は言った
日露戦争と太平洋戦争の開戦前の動きについて、もう2点だけ説明しておこう。この2つの戦争を比べると、指導者の考え方の違い、天皇への向き合い方の姿勢に多くの開きがある。どちらがいいとか悪いというのではな…
