前田吟「男はつらいよ」を語る
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(21)ハブに噛まれて毒が回るドラマ版寅さんに抗議が殺到した
──映画「男はつらいよ」は先にテレビドラマになっている。そもそもタイトルの「男はつらい」はTBS系列で1966年から68年まで80回放送された1話完結の人情ドラマ「泣いてたまるか」の最終回(3月31…
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(20)山田洋次監督との鳥肌が立つような意外な出会い
1968年1月公開の「ドレイ工場」で主演する一方で、映画やドラマの仕事も次々に舞い込み、「男はつらいよ」にマドンナ役で出演する人気女優の相手役も演じた。そして山田洋次監督との出会い……。 ◇…
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(19)前田信明から「吟」に名前を代えて挑んだ社会派映画「ドレイ工場」
前田吟が俳優座養成所同期の地井武男の代わりに主役を演じた映画「ドレイ工場」(1968年)は労働組合や民間団体らのカンパで組織された製作上映委員会による話題作。「東京争議団物語」(労働旬報社)をもとに…
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(18)俳優座養成の卒業旅行で同期7人と事務所設立を約束 夏八木勲、村井国夫、地井武男、竜崎勝と多士済々
俳優座養成所を卒業したものの、俳優座に入ることができず。それでも仕事は途切れず。1969年公開の第1作「男はつらいよ」までの流転は前田吟の夜明け前だ。 俳優座養成所では卒業する前に卒業生がお芝…
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(17)俳優座養成所の同期・夏八木勲は英語ペラペラの慶応ボーイ
ドラマ、映画で活躍する一方で、俳優座養成所時代は15期の同期と濃密な時間を過ごした。 同期とは仲がよかったし、ライバルとして負けまいと思った、まさに切磋琢磨。なかでも異端児だった夏八木勲(1…
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(16)渥美清はただの喜劇人じゃない! 映画「おかしな奴」で奥の深さを知った
俳優座養成所の3年間の後半は当時の話題作で活躍したが、一方で寅さん、渥美清と作品を通して出会っている。 1965年公開の小林正樹監督の「怪談」はちょい役でしたけど、京都での撮影の時間が長かっ…
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(15)養成所2年の夏から外部出演OK、ドラマの主役も演じた
俳優座は戦前の1944年、演出家の千田是也や時代劇「水戸黄門」の東野英治郎、名優の小沢栄太郎らによって創立された。戦後は演劇復興を掲げ、日本の演劇界を牽引してきた、日本を代表する劇団である。その養成…
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(14)再々婚して話すことができるようになった複雑な家族関係
「男はつらいよ」の第1作が公開されたのは1969年8月。前田吟はその前年に離婚を経験する。まだ24歳だった。 子供の親権は向こうにありました。 ただ、長男は幼稚園に入る前に交通事故に遭…
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(13)結婚、2人の子供の恵まれ、そして離婚…朝ドラ女優と恋に落ちて
1963年4月、前田吟は晴れて俳優座養成所入りする。「花の15期」といわれた同期に交じり本格的な俳優を目指す日々が始まった。生後間もなく里子に出され、丁稚奉公を経験した前田と、エリート集団の同期とは…
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(12)彼女もできた…そして「花の15期」としてエリート揃いの俳優座養成所に合格
前田吟は1期生として合格した東京芸術座に入ったものの、通ったのは本命の俳優座養成所に入るまでの1年弱だった。その間、バイトはクビ、恋人ができ、住む家も変わり、そして、俳優座受験と慌ただしい日々を送る…
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(11)上田吉二郎さんを頼りに17歳で大阪から東京へ…いきなり別世界に放り込まれた
丁稚奉公から2年数カ月、激動の大阪時代に別れを告げ、場所を東京に移す。上京して時を経ずして、前田吟を取り巻く環境は一変する。 倉橋仙太郎先生の弟子に時代劇の大河内伝次郎さんがいます。その門下…
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(10)人気番組「あなたをスターに」の準優勝は人生の分かれ道だった
劇団は潰れたが、新国劇の重鎮、倉橋仙太郎に拾われる。当時、よく淀川っぺりに出かけて声がかれるまで発声練習をしていたという。見聞きして覚えた外郎売りをやってみたこともある。四谷赤坂麹町 チャラチャラ流…
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(9)住み込みの新聞配達アルバイトは寝過ごしてクビに…劇団は社長が逃げて潰れた
前田吟は住み込みで新聞配達のアルバイトを始めたのと同時に、劇団に通うようになったが、新聞販売店を3カ月でクビになる。しかし、業界の大物との出会いで役者として生きる道が開けていく。 劇団とい…
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(8)劇団入学の通知が家具卸問屋の逆鱗に触れ、故郷に連れ戻された
リヤカーに左足を挟まれ、大ケガをしたが、翌年春ごろ(60年)にはリヤカーを引くことができるくらいまで回復し、役者になる思いを強くしていった。それが家具卸問屋の夫婦の逆鱗に触れる。 その頃、す…
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(7)家具卸問屋に丁稚奉公に出て3カ月、リヤカーの車輪に足を挟まれて大ケガの大ピンチ!
防府の伯母の家にいづらくなった前田吟は高校を1年の1学期で中退する。次なる進路は一転して丁稚奉公だった。そこには「男はつらいよ」の「とらや」の隣、朝日印刷所で工員を演じる前田の原点があった。 …
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(6)大阪に丁稚奉公に出る少年が役者を志すきっかけになった「西遊記」
前田吟は防府高校を1年の1学期で中退し、母親の知人が嫁いだ先の大阪の家具卸問屋に丁稚奉公に出る。そんな10代を送った少年が、後に俳優になって国民的な映画で活躍するようになるきっかけは何だったのか。実…
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(5)実母と一緒に暮らすことはできず、一間の伯母一家と暮らし
実母と会ってから、前田吟の人生はさらに流転する。 結婚相手は防府の郵便局の本局の局長さんでした。母親は彼の初婚の相手ではなく、後妻に入りました。これは推測ですけど、向こうの人は母親が子供を産…
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(4)若夫婦の旦那さん「高校に行けるように本当のお母さんに掛け合ってくる」
前田吟にとって母親のような存在。実の母、出生届が出された小倉の篤志家の名義だけの母、生後わずかの間、実母とともに乳飲み子の面倒を見た叔母、4歳で亡くなる養母、養父の妹、さらにその妹の娘……。そこに身…
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(3)養父も亡くなり天涯孤独に「どっこも行くところがなくなった」
里子に出された後も前田吟の生活は転々とする。笑顔で飄々と語る「激動の10代」はいわれなき漂流のようでもあった。 4歳で養母の久代さんが亡くなり、家族は養父の種市さんと僕の2人だけになりました…
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(2)車寅次郎と同じ非嫡出子として生まれ、3カ月で里子に出された
前田吟は車寅次郎と同じ、非嫡出子として生まれ、実の両親を知らずに育った。 僕が生まれ育ったのは山口県の防府です。山田洋次監督は大阪出身ですが、高校時代は僕と同じ山口(宇部)で過ごしたそうです…