萩本欽一〈55〉仮死状態で生まれた三男、「視聴率30%と交換してくれ」と星空に願ったら…
作家・増田俊也氏による連載、各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。待望の第2弾は、「視聴率100%男」として昭和のテレビ界を席巻したコメディアンの萩本欽一氏です。
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増田「萩本さんの構想では、スポンサーという呼び方さえ変わっていくかもしれないですね」
萩本「まさにそうなの。だから最初はスポンサーじゃないの。『お友達』とかね。何かそういう言葉がいいよね。まだ考えてないけど」
増田「スポンサーというと、お金を出して番組を支える人という関係になりますからね」
萩本「そう。でも俺、桃屋の社長とはもうお友達みたいに付き合ってるもん。遊びに行ったら社長が出てくるんだもん」
増田「しかし、その社長と最初に出会ったのは、本当に家の近くの道路だった」
萩本「初対面。運ですよ」
増田「偶然会った人が桃屋の社長で、その人が番組のスポンサーになる。出来すぎた話みたいですね」
萩本「そうでしょう。でも運っていうのはね、やっぱりあるんですよ」
増田「萩本さんのお話を聞いていると確かにあるんだなと納得できます」
萩本「でしょう」
増田「はい」
萩本「私にとって一番大きな奇跡が起きたのは、3番目の子供じゃない?」
増田「三男の方ですか?」
萩本「そう。生まれたときに電話で『病院に来なくていい』って言われたの。仮死状態で生まれてきて、もう危ないからって。そのとき俺、福岡で仕事してて、窓を開けて星空に向かって言ったの。『今までどうもありがとうございました。いま(冠番組の)視聴率が30%いってるけど、あれ交換しません? 30%なくなっていいから、うちの子供をちょっと助けてくれない? どんでん返しでよろしく』って」
増田「それから1週間ぐらいして…」
萩本「1週間経ったら、まだ命がある。ひょっとしたら大丈夫かもしれないって。それから1カ月ぐらいしたら、病院の先生に呼ばれたの」
増田「そこで初めて先生に会ったんですか?」
萩本「そう。先生、私が欽ちゃんだって知らなかったの。『欽ちゃんの息子さんだったんですか?』って驚いて。助けた子供のお父さんが欽ちゃんだったんですかって」


















