坂田明 81歳の今も現役JAZZライブ
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(14)山下洋輔の期待に応えた圧倒的な音と激しさ
ドラマーの森山威男とテレビの生放送で共演したことで、坂田明の存在は山下洋輔の知るところとなった。 「森山さんと演奏しているのを山下さんがテレビで見ていて、なんだあのサックスはっていうことになっ…
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(13)行き場をなくしたエネルギーがフリージャズで炸裂した
気鋭のサックス奏者、阿部薫の知己を得た坂田明は、渋谷のライブスペース「プルチネラ」を紹介される。1970年代のとがったミュージシャンが集まり、実験的な即興演奏を繰り広げた日本のフリージャズ史における…
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(12)無我夢中でサックスを吹きながら、縦横無尽な即興演奏のスタイルを磨く
運送会社を辞めた後、デザイン会社の運転手という働き口を見つけた坂田明は、時間を見つけては近くの墓地や歩道橋の下、公園の一角などで練習を重ねた。そのころ、胸中にあったのは「自分よりうまいミュージシャン…
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(11)バイトを転々、横浜のナイトクラブで演奏、そして結婚
1969年春、サックスを手に広島から上京した坂田明は、ジャズ同好会の後輩で後に妻となる千恵子の弟が住む、神奈川県川崎市の下宿に転がり込んだ。ジャズマンを目指してやってきたものの、全くの無名だった坂田…
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(10)妻となる千恵子に背中を押され、上京を決意
1969年3月、坂田明は広島大学水畜産学部を卒業した。入学から6年が過ぎていた。卒業後、坂田はアルトサックスを手に上京し、プロを目指す。だが、そうした決意は、卒業の直前まで固まっていなかった。プロに…
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(9)トラックからラリー競技、マンドリンまで何でも面白がったマルチ人間
かつて坂田明は、共同通信のインタビューで、自らの人生をこう語っている。 「状況が変わるとその状況にしたがって、あっちにぷかぷか、こっちにぷかぷか、浮遊生活をしてきたわけですよ。プランクトンみた…
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(8)人生を変えたコルトレーンのコンサート、雷に打たれた気持ちになった
1966年、21歳の坂田明は広島大学に入って3年が過ぎ、2度の留年をしながらサックスを吹き続けていた。将来の目的が見いだせないまま、ただ毎日、大学に行ってサックスを吹き、夜になれば先輩と酒を飲んだ。…
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(7)大きな船に乗り世界に出る夢を、いきなり断たれてしまった
高校を卒業した坂田明は、1963年4月に広島大学へ入学する。坂田家の懐事情を考えると、親が行かせてくれるのは地元の国立大学、つまり広島大学しかなかった。クラリネットに傾倒しながらも、坂田は見事に現役…
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(6)自己流でクラリネットを吹き続けた高校生活
1960年、坂田明は広島県立広高校に入学した。長浜の集落から峠を越えた先にあり、毎朝、自転車のペダルを踏むこと30分。当時の広高校は50人のクラスが1学年に10もある大所帯で、生徒のほとんどが大学を…
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(5)13歳の体を貫いた黒人のブルース
瀬戸内の豊かな海に包まれるようにして育った坂田明だが、日々の暮らしは決して楽ではなかった。 父はもともと、牧場で牛や馬の世話をする「牧童」だった。やがて乳牛を育て、酪農家を目指していたが、母…
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(4)毎日、海を眺め、自給自足のような幼少期
JR広島駅から呉線に乗り、車窓に広がる瀬戸内の海を眺めながら1時間ほどで、広という駅に着く。住所は広島県呉市広。ここには戦時中、艦艇の機関やスクリューなどを造る海軍工廠と、航空機の製造や修理を担う航…
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(3)タモリと坂田明の共通項はジャズ的生きざま
坂田明の妻、千恵子(79)は、坂田とタモリは「感性が似ている」と言う。 「2人だけでいると、何もしゃべらないで座ってるの。でも、人が集まってくると、途端におかしいことをするわけ」 2人…
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(2)50年付き合っているタモリが語る坂田明の凄まじい「突破力」
坂田明を語る上で欠かせないのは、交友関係の広さだ。大学卒業後、ミュージシャンを目指して上京した坂田の周りにはジャンルのバラバラな雑多な面々が集っていた。そこで磨かれたのが「ごった煮のセンス」だ。 …
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(1)今も新宿ピットインのライブは満席
今から60年も前の1965年、ジャズのライブハウス「新宿ピットイン」が開店した。数々の大物ミュージシャンが火花を散らした名店は今も健在だが、そこで毎年2月21日に催される企画がある。サックス奏者・坂…
