五木寛之 流されゆく日々
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【特別再録】 <なしくずしの死>の終り <音楽、86年>
「阿部薫って誰ですか」 と、昭和三十七年うまれの編集者がきく。彼が阿部薫を知らないのは当然だろう。彼がゲバ棒のかわりにサックスをかかえて登場したのは、五月革命がドゴールの勝利に終って、パリのヒッピ…
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【特別再録】 記憶の中のカヤカベ教 <シャドー文化、83年>
戦後、朝鮮から引揚げてきて、両親の実家にしばらくいたことがあるのですが、そのとき何度か、〈カヤカベ教〉という言葉を耳にしたことがあった。 両親の実家は熊本県と福岡県の県境にあり、あの地域は農村と…
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【特別再録】 信仰と政治のはざまに <宗教、81年>
浄土真宗という宗教は、差別への鋭い目を向けてきた宗教だと思うんです。宗教そのものの本質的な問題として、差別ということを考えてきたのが浄土真宗という宗教であり、だからこそ時の権力者たちは浄土真宗に危険…
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【特別再録】 深夜に中世の闇を思う <歴史、80年>
中世の日本人たちは、その後の徳川時代を経た日本人とはちょっとちがうような気がします。中世の人々は、ひとことで言うととても複雑なんです。そして、ダイナミックです。 政治の残酷さというものをよく知っ…
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【特別再録】 細部に宿るものの世界 <クラフト、80年>
治安維持法が成立してしまった今、個人の力なんて無力なんだ、というある種の諦念、挫折感を持たざるを得なかった人たちが、その後どうしたのか。 小林多喜二のように真正面からぶつかることはできない、しか…
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【特別再録】 ボブ・ディランとソ連歌謡界 <音楽、78年>
ある日、モスクワに一人のグルジアなまりの男がギター片手に飄然と現われ、とても単調でわかりやすく、しかも叙情的な自作の詩を歌い出した。そしてその詩はたちまち、ひとの口から口へと伝わって、結婚式などでよ…
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【特別再録】 喫茶店とぼくらの生活 <文化・世相、77年>
北欧の町で、十九世紀末に、いわゆるボヘミアンという人種が大量に発生したことがあった。その当時のボヘミアンというのは、今でいうヒッピーのようなもので、自分の本能に忠実であり、酒を飲み、自由恋愛をし、女…
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【特別再録】 夜明けの高橋和巳 <人物、76年>
歯が痛むので折角の五月も灰色である。歯痛ぐらいで世界観が変わるのだから、人間なんていい加減なものだ。鈍痛がくり返しおそってきて、そのたんびに終末観にとらわれる。 電話で、高橋和巳を偲ぶ会に出て来…
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連載10000回 流れ流されて四〇年 <1>
きょうのこの原稿で、どうやら連載10000回になるらしい。あらためて、よく続いたものだと思う。 ある日、講談社を中退した川鍋(孝文)さんが、相談があるとやってきたのが、きっかけだ。話をきけば、こ…
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連載9999回 沖浦和光さんの思い出 <5>
(昨日のつづき) 歴史には陽の部分と陰の部分とがある。世の人びとは、もっぱら陽の部分に興味を示し、その土台にある陰の部分を無視しがちなものである。 たとえば、明治という時代についてもそうだ。国…
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連載9998回 沖浦和光さんの思い出 <4>
(昨日のつづき) 沖浦さんと共に、中国山地にサンカの人びとを訪ねたことがあった。 サンカという表現は、はたして正しいかどうかわからない。さまざまに議論の多いところである。 沖浦さんが瀬戸内…
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連載9997回 沖浦和光さんの思い出 <3>
(昨日のつづき) 瀬戸内の海を見おろす高台で、沖浦さんは熱のこもった口調で「家船」の人びとのことを語ってくれた。 天気のいい日で、海上には点々と船の群れが見える。 中国では「蜑民」と呼ばれ…
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連載9996回 沖浦和光さんの思い出 <2>
(昨日のつづき) 沖浦さんと瀬戸内のあたりをたずねたのは、もうかなり以前のことである。 この国の歴史は、ほとんど列島の内陸部、つまり平野や盆地を中心に語られてきた。それ以外の山地や海辺に住む人…
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連載9995回 沖浦和光さんの思い出 <1>
沖浦和光さんが亡くなられた後、いろんなところから追悼の文章を求められたが、なぜか書けずに一年が過ぎた。 こんど、沖浦さんの著作集が出るという。その紹介のパンフレットに、短い文章を寄せたのは、よう…
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連載9994回 お世辞の効用について <5>
(昨日のつづき) きょうは午後3時から田原総一朗さんとの3回目の対談。 あす金曜夜の『朝まで生テレビ』では、天皇制をテーマに番組をやるとのこと。田原さんは私と同世代だが、どうしてどうして、ぜん…
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連載9993回 お世辞の効用について <4>
(昨日のつづき) 「お世辞といってしまえばそれまでなんですけど、ほら、業界にはエールの交換というやつがあるでしょ。仕事を円滑に運ぶためには、人間関係がスムーズにいきませんと、なかなか大変なんで。そう…
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連載9992回 お世辞の効用について <3>
(昨日のつづき) カミ、ホトケにも世辞が必要であるということは、歴史をふり返ってみると一目瞭然だ。 古代の宗教儀礼は、神々を嬉ばせるために催された。神様が気に入るような供物を奉納し、文言をつら…
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連載9991回 お世辞の効用について <2>
(昨日のつづき) 古くから英雄、名君には良い家臣だけでなく、悪智恵のはたらく連中がそばにいた。こういう君側の奸を「佞臣」と呼ぶ。 どういうわけかこの手の家来には、巧みに世辞をつかう連中が多い。…
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連載9990回 お世辞の効用について <1>
人はおおむねお世辞を好むものだ。それが見えすいたお世辞だとわかっていても、やはり悪い気はしない。 おおむね、と書いたのは、まれにではあるが、お世辞にきびしい人もいるからである。他人のお世辞に苦虫…
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連載9989回 終わらざる夏の記憶 <5>
(昨日のつづき) いろんな夏が、やってきては過ぎ去っていった。記憶に残っている夏だけでも80回はあるだろう。 しかし、私の夏は、七十数年前に終ったのだという気がしている。 もの心ついてから…