五木寛之 流されゆく日々
-
連載9920回 レンズの垢にまみれて <4>
(昨日のつづき) 何十年も昔の事だが、『野性時代』という雑誌で、かなりのページをさいてグラビアを組んだことがあった。高名な若手のカメラマンが撮影を担当した。その企画がユニークだったのは、被写体であ…
-
連載9919回 レンズの垢にまみれて <3>
(昨日のつづき) 何十年も昔の話だが、『アサヒカメラ』の表紙の写真を撮ることになった。当時は出版界も余裕があって、1週間のロケと十分な予算を出してくれたのだ。写真家と共に、札幌へ飛び、毎日、石狩の…
-
連載9918回 レンズの垢にまみれて <2>
(昨日のつづき) 美術コレクターのあいだでは、奇妙な言葉が通用している。 それは、 「目垢がつく」 と、いう表現である。 私がその言葉をはじめて聞いたのは、ある人からわが国の代表的な…
-
連載9917回 レンズの垢にまみれて <1>
先週、雑誌の対談に使う写真の撮影をした。対談のお相手と壁の前に並んで、まずツーショットから始まる。なんだかテロ犯人の手配写真みたいだ。カラシニコフ銃でも手に持っていれば、いささかの凄味もでただろう。…
-
連載9916回 漠たる不安の中で
芥川賞に名前を残した芥川龍之介は、昭和2年、斎藤茂吉からもらった多量の睡眠薬を飲んで自殺した。一説には青酸カリという話もある。 自殺の原因についても、諸説あるが、真相は本人にしかわからないだろう…
-
連載9915回 生まれ変りは可能か <5>
(昨日のつづき) このテーマで考えたのは、私たち一個人の生まれ変りの可能性ではない。私たちの国が戦後、新しく生まれ変ったかのような感覚に疑いをもったからである。 戦後70年という表現は、それま…
-
連載9914回 生まれ変りは可能か <4>
(昨日のつづき) 生まれ変りとは、死後のことではない。いま、この世に生きていながら、まったく新しい自分に生まれ変ることもあるのだ。 そのためには、過去を清算しなければならない。 国も同じこ…
-
連載9913回 生まれ変りは可能か <3>
(昨日のつづき) ここで問題にしているのは、一人の個人の生まれ変りではない。この国、この社会が生まれ変ることの可能性についてである。 戦前、戦中のこの国を大フィーバーにまき込んだ東京音頭は、一…
-
連載9912回 生まれ変りは可能か <2>
(昨日のつづき) 熱狂的に国民をまきこんだ『東京音頭』の大フィーバーは、西條八十作詞、中山晋平作曲の空前のヒット作だった。 当時の売上げで120万枚に達したというから凄い。 その歌詞を見て…
-
連載9911回 生まれ変りは可能か <1>
「生まれ変って生きようと思います」 というのは、かなり深刻な反省の言葉である。 「今後は生まれ変って――」 などと罪を謝罪したりもする。過去をイレーズして、ちがう人間として生きる決意の表明で…
-
連載9910回 中世のヒーローたち <5>
(昨日のつづき) 中世というのは、よくわからない時代である。朝廷の威光がよわまり、関東の野性的な武家政権が抬頭していく。その中で、念仏に帰依する人びとが雪崩をうって浄土門にはせ参じたようなイメージ…
-
連載9909回 中世のヒーローたち <4>
(昨日のつづき) サムライが武者(ムサ)と呼ばれた時代があった。武士階級が成立する以前は、ただの暴力団だったのである。三人、五人が十人、百人と徒党を組み、スポンサーにやとわれる。 対立する連中…
-
連載9908回 中世のヒーローたち <3>
(昨日のつづき) 『親鸞』という小説を書いたときには、第一部でツブテの弥七という人物を登場させた。 その名のとおり「ツブテ打ち」である。ツブテは石ころだ。これを武器として、プロとなったのが「白河…
-
連載9907回 中世のヒーローたち <2>
(昨日のつづき) 中世の非人をどのように規定するかは、これまで諸説がわかれるところである。 「身分外の身分」 という見方もある。「非人乞食」というような一般的な賤称もある。 処刑にたずさ…
-
連載9906回 中世のヒーローたち <1>
以前、龍谷大学が理工学部を新設した際に、記念講演に呼ばれたことがあった。 龍大はもともと仏教系のミッションスクールである。しかし最近では宗門の大学という色彩は薄れて、一般的な大学というイメージが…
-
連載9905回 昭和歌謡は生きている <5>
(昨日のつづき) 山田風太郎の『昭和前期の青春』(ちくま文庫)に、歌についての回想がある。昭和10年代後期、風太郎10代の終り頃の話である。「日中戦争が始まって、もう二、三年たっていた」時期らしい…
-
連載9904回 昭和歌謡は生きている <4>
(昨日のつづき) 1945年の敗戦のあと、中学1年生だった私は、戦前、戦中の歌謡曲をシャワーのように浴びることになった。 集団で暮していたその時期、私より年長の青年たちと毎日毎夜、つるんで日を…
-
連載9903回 昭和歌謡は生きている <3>
(昨日のつづき) いまにして思えば、戦前、戦中の軍歌は、ほとんど歌謡曲だったような気がする。 歌詞は勇壮であっても、そこに流れている曲想は、まさしく歌謡曲のそれだった。国民歌謡というものは、じ…
-
連載9902回 昭和歌謡は生きている <2>
(昨日のつづき) 戦前、戦中を通じて、この国にはさまざまな歌が流れていた。そもそも巷に歌声が絶えたことは、古代から一度もなかったはずである。江戸時代も、明治の頃も、人びとはさまざまに歌い暮した。 …
-
連載9901回 昭和歌謡は生きている <1>
桜も散った。 寒い日が続いたせいか、今年の桜は心なしか散るのがおそかったような気がする。 そういえば今年は、例の桜の季節の主題歌といっていい「サクラ サクラ 弥生の空は」という歌を一度もきか…