五木寛之 流されゆく日々
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連載10533回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <6>
(前回のつづき) 書店でみつけた「ゲンロン」を順不同に目を通していて「ゲンロン0」(観光客の哲学)を読んだときには、「これは『ゲンロン』というより『ブンロン』じゃないか」と思った。全編、東浩紀さん…
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連載10532回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <5>
(昨日のつづき) ところで『ゲンロン』という不思議な雑誌をはじめて手にとったのは、何年か前のことである。三田の「あゆみ書房」という書店の棚でみつけたのだ。その店は夜の11時過ぎまで営業しているので…
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連載10531回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <4>
(昨日のつづき) 父親の上昇志向は、世のエリート知識人の仲間入りをすることではなかった。せいぜい「亜インテリ」に分類される中間知識人のやや上のあたりに加わりたいといった、しがない望みだったと思われ…
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連載10530回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <3>
(昨日のつづき) これまで何度も書いたことだが、その寒村での暮しは、両親にとってかなり辛いものであったらしい。 名前だけは校長でも、日本人の生徒が一人もいない普通学校だった。当時、日本語が強制…
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連載10529回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <2>
(昨日のつづき) 私の父親は、丸山真男のいうところの「亜知識人」の典型のような男だった。 福岡県の、それも肥後地方と隣接した筑後の山奥の農家の出身である。たぶん長男でなかったことから、いずれは…
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連載10528回 「ゲンロン」と「ブンロン」 <1>
先週、森本あんりさんと対談をさせていただいた。かねて森本さんの書かれた新潮選書『反知性主義』を、とても興味深く拝読していたので、対談の話がきたときには嬉んでお受けしたのだ。 ちょうど森本さんの新…
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連載10527回 ふたたび「孤独」について <5>
(昨日のつづき) 鴨長明が隠遁して山にこもったのは、50歳のときだった。 「人生50年」という時代にあっては、すでに世を去ってもいい頃である。彼はそれまでの人生を、さまざまな人間関係にもまれて生…
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連載10526回 ふたたび「孤独」について <4>
(昨日のつづき) このところしきりに「孤独」についてのコメントを求められることが多い。絆を求める声が3・11のあと、あれほど盛り上っていたのが嘘のようだ。人びとは今なにを求めて「孤独」を論じようと…
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連載10525回 ふたたび「孤独」について <3>
(昨日のつづき) そうなのだ。人は孤立して自らを閉じこめているかぎり、真の自己を発言できない。他者との接触や摩擦、衝突や協力のなかで「ただ一人の自分」を見出すのである。 その自分、「唯我独尊」…
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連載10524回 ふたたび「孤独」について <2>
(昨日のつづき) 西部邁さんは私にとって一面識もない思想家である。何冊かの著作を読んだり、「朝まで生テレビ」の番組で、その発言に触れたことがあるだけだ。 しかし西部さんが展開していたポピュラリ…
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連載10523回 ふたたび「孤独」について <1>
前に「孤独」について一冊の本を出した。 テーマがあまり前向きでないだけに、私としてはぼそぼそ独り言をつぶやいているつもりだったが、意外に大きな反響があって驚いた。 かつて3Kという言葉が話題…
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連載10522回 ラジオを聴きながら <5>
(昨日のつづき) TBSの『五木寛之の夜』は、私の番組としてはいちばん長く続いた番組だろう。 番組が終ったのは、提供会社のカネボウが大変な状況におち入ったからだ。スポンサーを変えて番組を続けよ…
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連載10521回 ラジオを聴きながら <4>
(昨日のつづき) 昔のTBSは小ぢんまりした社屋で、いまのように警備も厳しくなく、アットホームな感じだった。ビルの向い側にアマンドという喫茶店があり、打ち合わせの関係者や出演者でにぎわっていた。 …
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連載10520回 ラジオを聴きながら <3>
(昨日のつづき) ラジオ関東は、当時(1960年代)最もトンガったラジオ局だった。『ポート・ジョッキー』や『森永エンゼルアワー』などの人気番組とともに、夜のフリー・トーク番組『きのうの続き』は、た…
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連載10519回 ラジオを聴きながら <2>
(昨日のつづき) 当時のラジオからは、国民歌謡と呼ばれた戦意昂揚歌が、つぎつぎと放送された。 『海ゆかば』はもちろんのこと、『愛国行進曲』や『愛馬進軍歌』、『加藤隼戦闘隊』その他、無数の歌が大流…
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連載10518回 ラジオを聴きながら <1>
平成もやがて終ろうとしている。新しい年号が何になるかはわからないが、一つの時代が過ぎていくことはまちがいない。 私は昭和の子である。平成の時代にあっても昭和歌謡を口ずさみ、昭和の歴史に関心を抱い…
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連載10517回 「心の相続」とはなにか <5>
(昨日のつづき) 私たちが家庭や両親から相続するのは、モノや資産だけではない。無形のさまざまなものを受け継ぐのである。 私たちは書物やメディアを通して、明治から大正、そして昭和の時代を知ること…
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連載10516回 「心の相続」とはなにか <4>
(昨日のつづき) 私が両親から相続したものをふり返ってみると、まだまだいくらでもある。 たとえば、私の喋り方は形の上では共通語であるが、アクセントやイントネーションはまったくの九州弁だ。正確に…
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連載10515回 「心の相続」とはなにか <3>
(昨日のつづき) コンビニで週刊誌を見ると、やたら相続の記事が目につく。 どうやら「孤独」の後は「相続」がジャーナリズムの次の焦点であるらしい。 ところで、私の両親は共に学校教師だった。母…
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連載10514回 「心の相続」となにか <2>
(昨日のつづき) 私は昔から魚の食べ方が下手だった。魚料理は好きなのだが、食べ終えた皿の上を見て気恥かしい思いをするのが常だった。 魚の残骸というか、骨や皮や頭や尻っぽがグチャグチャになって、…