ゴルフは本当に面白い!
-
中村稔さん<2>18番の“50cmバーディーパット外し”で初優勝
サブちゃん(北島三郎)のコンペに初めて出場したのはたしか1993年、山梨の都留カントリー倶楽部で行われたときだ。 サブちゃんのことは渋谷で流しをやっていたときから知っていた。当時、巨人の投手…
-
中村稔さん<1>青木功プロから“時差ボケ解消ゴルフ”の誘い
ゴルフを始めて60年以上になる。今では飛距離も落ち、スコアもかなり叩くようになったが、かつてはコンスタントに70台で回り、プロゴルファーとラウンドしてもいい勝負ができた。それでも「さすがはプロ」と感…
-
三遊亭小遊三師匠<4>別当さんの“パーシモン飛距離”に驚き
我が心の別当薫。 小学校3、4年のころ、あこがれたのがプロ野球毎日オリオンズの別当薫監督。当時プレーイングマネジャーでしたが、もうあんまり試合に出てなくて。選手というよりは、別当監督のファン…
-
三遊亭小遊三師匠<3>K・コスナーに「プリーズ、サイン」
私にとってのラッキーボーイは三遊亭円楽さん(6代目)です。円楽さんと一緒に出るようになったサントリーオープンのプロアマは招待選手が豪華でした。 帝王と呼ばれたジャック・ニクラスさんはヘリコプ…
-
三遊亭小遊三師匠<2>笑点入りからとんとん拍子に90切り
コースデビューは120くらい叩いたと思うのですが、面白かったですね。まだ二つ目の頃で、30歳くらいでしたけど、ぜひまたやりたいとすぐに夢中になりました。 真打ちになって、笑点の仕事が始まると…
-
三遊亭小遊三師匠<1>「志ん朝師匠がやってるから」
ゴルフを始めたキッカケは「そこに練習場があったから」です。 所帯を持つんで応募した都営団地が抽選で当たりまして、すると目の前に「日本テレビゴルフガーデン」(現新宿イーストサイドスクエア)とい…
-
坂東彌十郎さん<4>夢中の頃は早朝ハーフ→芝居→ナイター
中村勘三郎さんから生前にいただいた「テーラーメイド・レスキュー」をいまだに使っているお話をしました。私は割と、一度気に入ったクラブを長く使うタイプです。 ドライバーも、随分長く使っています。…
-
坂東彌十郎さん<3>ハワイの有名コースで有名歌手と一緒に
故中村勘三郎さんと米国アリゾナ州のスコッツデールでよくゴルフをしましたが、日本人にとって身近な海外といえばやはりハワイですね。 1990年代半ばには、連れて行ってくれる友達もいたので、頻繁に…
-
坂東彌十郎さん<2>勘三郎さんと大喧嘩したスコッチデール
永久スクラッチを誓い合った中村勘三郎さん(故人)とは、時間があれば一緒によくゴルフに出掛けたものです。 ベストスコアは89です。コースはレイク相模CC(山梨)で、この時も勘三郎さんと回って、…
-
坂東彌十郎さん<1>18代目勘三郎さんと「永久スクラッチ」
ゴルフとの初めての出合いは20代前半です。40年近くも前の話で、神宮外苑の練習場でクラブを握り、コースデビューは10代目坂東三津五郎さん(故人)に連れて行ってもらいました。 もちろんビギナー…
-
神津善行さん<4>謙虚になれば深い味わいを楽しめる
レギュラー番組「家族そろって歌合戦」(TBS系)では北から南まで、全国津々浦々を旅して、ゴルフをする機会にもめぐまれました。 最もいいな、と思ったのは北見カントリークラブ(北海道北見市)です…
-
神津善行さん<3>坊屋三郎さんがゴルフで儲けた40万円を…
私の周りには、ゴルフにまつわる失敗談がたくさんあります。私自身も、ゴルフを始めたばかりの頃、大失敗をやらかしました。 買ったばかりのクラブが、ちょっと自分には長かった。そこでシャフトを、何も…
-
神津善行さん<2>ツアー前夜祭で見た杉原輝雄プロの気配り
■多くの一流プロは夜のススキノへ消えていった 全日空が主催する第1回モニター会(ご意見番の会)は北海道での開催でした。 その大事な前夜祭で驚きの事態に遭遇しました。プロゴルファーの皆…
-
神津善行さん<1>プロ入り前の樋口久子さんにクラブを…
ゴルフとの出合いは、音楽学校時代です。中学時代からの友達に、父親のクラブがあるんだけど買わないか、と誘われて手に入れたのがキッカケです。たまたま姉がPX(米軍基地内の売店)に勤めていた関係で、多摩ヒ…
-
林家正蔵師匠はゴルフ場ではなかなか手ごわい嫌な相手です
二つ目時代は仕事場のほとんどがゴルフ場という落語家人生を送り、コンペの司会をしてギャラと賞品までいただきました。 1985年に37歳で真打ちに昇進です。 そうなると、仕事の幅が一気に…
-
林家種平師匠<3>ゴルフの方が稼げちゃう落語家は私ぐらい
本格的にゴルフを始めたのは北陸・金沢での不思議な縁がキッカケでした。仲良くしていた金原亭馬生師匠から、仕事を紹介されました。市内の料亭で10分ばかり小噺をして、ギャラとご祝儀をもらえるというものです…
-
林家種平師匠<2>プロから「頭を使わなくちゃ」と呆れられ
1969年に21歳で林家三平師匠に入門し、内弟子になりました。 前座の修業時代を経て、5年後に二ツ目に昇進します。普通は御礼奉公で師匠の家に1年いるものなのですが、弟弟子が5、6人もいるので…
-
林家種平師匠<1>ゴルフデビューは240オーバーの大叩き
「種平ゴルフアカデミー」を主宰している林家種平と申します。 初代林家三平に入門したのちにゴルフにはまり、ハンディ4までいきました。 アカデミーは2017年4月吉日に設立。以来「来る者拒…
-
えなりかずき<4>日本初の“ゴルフソムリエ”目指し猛勉強中
4、5年前、ゴルフ場で大叩きをして気付いたことがあります。 「9(打)行っちゃった」「11(打)行っちゃった」とスコアが崩れると、ものすごく落ち込むわけですよね。でも、その後も我慢してプレーし…
-
えなりかずき<3>スパルタ坂田塾初日「こらぁ~」のお目玉
僕がコースデビューした頃は、小学生がプレーをすること自体、難しい時代でした。その敷居を一気に低くしてくれたのが「坂田塾」です。 プロゴルファーでありながら文筆家としても活躍していた坂田信弘さ…