阪神・星野仙一監督を襲った優勝の重圧と「即死の恐怖」…3度倒れても休養を拒否した指揮官の矜持
2003年優勝 野崎勝義元球団社長 #前編
「阪神で私の言うことを理解した選手は、ごく少数でした。ファンやマスコミに甘やかされたこのチームの選手を変えるには、西本幸雄さんのような熱血漢がベスト。子供でも厳しく怒られれば変わる。すぐに星野を口説くべきです」
野村監督が、沙知代夫人の逮捕でタイガースを去ることになったのが2001年12月5日。その翌6日、久万オーナー、手塚阪神電鉄社長、野村監督、私の4人は、大阪市内のホテルのスイートルームにいた。
久万オーナーは労をねぎらいたいと言い、野村監督もオーナーに会っておわびがしたいと話していた。野村監督の退団が深夜だったため、先送りになっていた「お別れの会」をすることになったのだ。我々は次期監督はだれかと血眼だったマスコミに隠れて、こっそり会った。
部屋の広さは80平方メートルほど。4人は応接セットのソファに向き合って座りながら、2時間ほど話をした。その中で野村監督が次期監督として「適任」と言ったのは、すでにその時点で有力な後任候補になっていた星野仙一氏だった。
実際、星野監督は熱い人だった。


















