星野仙一
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気温50度の灼熱キャンプなのに「寒い」…中村武志さんは「死ぬかもしれん」と言った
俺が若手の頃、星野仙一監督から最も「愛のムチ」を受けていたのは捕手の中村武志さんだったと思う。2年先輩で、俺が入団したときはすでに正捕手候補として一軍でプレーしていた。 同じ捕手では太刀打ちできない存在。ライバルという立場に...
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今なら炎上だけじゃ収まらない…星野監督は正捕手・中村武志さんを日常的にボコボコに
俺が長く仕えた星野仙一監督はまさに「闘将」だった。試合中、劣勢の展開になるとベンチを蹴飛ばし、選手を怒鳴りつける。試合に勝っても、選手が不甲斐ないプレーをすれば、監督室に呼び出し、鉄拳が飛ぶのは日常茶飯事だった。 今の時代で...
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星野監督は中村武志さんを張り倒した直後、3ランを打った隣の俺にも鉄拳制裁…メチャクチャ痛かった
一軍デビューを果たしたプロ3年目は20試合に出場したものの、本塁打はゼロ。しかも、その数少ない一軍戦で屈辱を味わった。 1989年10月15日の広島戦(広島市民球場)で上原晃(沖縄水産高↓87年ドラフト3位)と先発バッテリー...
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理由はもちろん星野監督…一軍昇格の知らせに「うわ、最悪だ」が先立った
「一軍」という場所はプロ3年目まで縁がなかった。2年目の1988年にはチームがリーグ優勝したけれど、「まったくの他人事」という感覚。優勝した実感がないどころか、自分にとっては何の関係もない出来事のひとつでしかなかった。 10月...
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地獄の浜松キャンプでは自分の脇腹負傷にガッツポーズ、束の間の休息が本当に嬉しかった
1987年の秋に経験した地獄の浜松キャンプでは、「入団5年目以内の選手は全員、球場から宿舎まで走って帰る」というルールがあった。先輩はバスに乗れたが、若手はバスを禁じられたのだ。 浜松市営球場から宿舎のグランドホテル浜松まで...
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プロ1年目ドジャース野球留学の内幕…現地生活を大いに満喫した一方、試合には全く出られなかった
1987年、中日に入団してすぐの春季キャンプ中に星野仙一監督から命じられた米国への野球留学。滞在先のフロリダで球団が借りてくれた立派なコンドミニアムにはキッチンもついていたが、食事はもっぱら外食。一緒に留学していた荒川哲男(ドラフト...
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突然告げられた強制米留学、現地では毎日ドミニカ人全員に飯を奢り続け、球団の領収書を切った
1年目の春季キャンプ中盤、星野仙一監督に呼び出された。宿舎の監督室に集められたのは、俺とドラフト4位で同期入団の荒川哲男、一軍投手コーチに昇格したばかりの高橋三千丈さん、チームマネジャーの福田功さん。星野監督はひと言、こう告げた。 ...
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立浪和義の「白米禁止令」は星野仙一イズムの継承だろう…かつては自身も大目玉を食らっていた
立浪和義が監督を務めた2022年から24年までの3年間を振り返ると、チームに活気や明るさが欠けていたといわざるを得ない。 23年8月にはバンテリンドームの食堂から白米が消えたと騒ぎになった。食堂に貼られた紙には、「お米」の部...
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オレが立浪和義にコンプレックスを抱いた深層…現役時代は一度も食事したことがなかった
スター選手だった立浪和義は、星野仙一監督から特別扱いを受けていた。監督自身がクジで引き当てたこともあり、お気に入りの選手だった。俺への接し方とは、態度や言葉の言い回し、全てが違った。 星野監督2次政権時の1999年の夏のこと...
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「(来季の去就は)マコト以外は全員白紙や!」星野監督が全員の前で放った言葉を意気に感じた
星野仙一監督就任1年目の2002年。僕は野球人生をかけたオープン戦初打席でサヨナラ打を放った流れをそのままに、開幕後はレギュラーとして打率.317、15本塁打、56打点の成績を残した。 ただ、シーズン中盤まで首位争いをしてい...
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星野監督1年目…周囲から浮いても関係ない「今岡は変わった」と思わせたくてアップから全力だった
「好きなようにさしたるから、やってみろ」 春のキャンプイン直前、就任1年目の星野仙一監督に言われた言葉は、野村克也前監督のID野球にウンザリしていた僕にとってうれしいものだった。ただ、同時に恐怖というか、背筋に衝撃が走るもので...
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【新連載】星野監督は講演会でいきなり「おまえはクソ生意気らしいから野村さんと全然あかんかったんやろ!」
聴衆がどっと沸いた。 2001年12月に阪神監督に就任したばかりの星野仙一さんの講演会に、僕と数人の阪神の選手が呼ばれた。そこで壇上の星野監督が突然、こう言ったのだ。 「今岡、おまえはクソ生意気らしいな。だから、野村さ...
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中日・福留孝介が引退決断 元コーチ仁村薫氏が明かす、亡き星野仙一氏と立浪和義監督との縁
8日、現役最年長の中日・福留孝介(45)が今季限りでの引退を表明した。1998年ドラフト逆指名で中日へ入団。メジャーや阪神でもプレー、プロ24年間で日米通算2450安打を放った。 その福留と計8年間(99~2002年、04~...
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デーブ大久保さん プロ野球経験者初の球団オーナーになりたい、有言実行を目指す!
西武と巨人で活躍後、東北楽天の監督も務めた大久保博元さん。「デーブ」の愛称で今なお人気だが、死ぬまでにやりたいことはプロ野球のオーナーというデカい夢。野球経験者がオーナーになることの重要性を熱く語った。 ◇ ◇ ◇ ...
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星野仙一さんが阪神を「特殊な球団」と言った意味 二軍選手までチヤホヤされる
オリックスのコーチを辞した2003年、阪神の岡田彰布監督から「二軍の打撃コーチをやってくれませんか?」と打診があった。縁もゆかりもない阪神に私のことを推薦してくれたのは、18年ぶりにリーグ優勝に導きながら体調の不安を理由に勇退したば...
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岡田彰布さんから阪神二軍コーチの打診 中日時代の恩人・星野仙一さんが推薦してくれた
1993年の日本シリーズで西武は3勝4敗でヤクルトに敗れ、4年連続の日本一を逃した。直後に私は球団幹部に呼ばれ、こう通告された。 「来年は契約しません。考えといてください」 戦力外通告なのに「考えといて」とは、選手側に...
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星野監督から湯治先の温泉宿に「トレード決まったぞ」と電話がかかってきた
中日が6年ぶり4度目のリーグ優勝を果たした1988年オフ、長野の昼神温泉で湯治をしていた私に星野監督から電話がかかってきた。 「トレードが決まったぞ」 「どこですか?」 「巨人の西本(聖)とや」 私と巨人・...
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「おまえはキャッチャーはクビや!」星野監督に外野コンバートを通告された
浜松でのヤクルト戦で、先発の鈴木孝政さんとバッテリーを組んでいた私は、直球が走っていたにもかかわらず、投手コーチに言われるがままに変化球を要求。荒井幸雄にチェンジアップを本塁打された。 指示通りなのに、ベンチでそのコーチに「...
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1点を追う試合終盤に二塁で憤死…星野監督は鬼の形相で「何で無理するんや!」と
中日・星野仙一監督の就任1年目、1987年の巨人戦だった。1点ビハインドの試合終盤に、私は右翼線にヒットを放った。ライトの仁村薫がファンブルしたため、思い切って二塁へ進んだら、好返球で間一髪タッチアウト。少しでも送球がそれればセーフ...
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星野仙一監督“鉄拳制裁”の現実 キレるのは「野球人としてあるまじき行為」に対して
「中日でしっかり体の軸で打っているバッターはおまえだけだ」 1986年12月、1対4の世紀の大型トレードで中日入りした落合博満さんに、春のキャンプで顔を合わせるなり、いきなりこう言われた。三冠王3度の大打者だけに、うれしくない...
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落合博満さんとの1対4トレード要員となった牛島は星野監督に「僕が何かしましたか?」
春の沖縄キャンプ。休日前夜に繰り出したクラブで、先日殿堂入りを果たした山本昌が、美女2人組に声をかけた。聞けば2人は東京から来ているという。みんなで飲んで騒いで解散。すると後日、昌はそのうちの一人と1回目の結婚。私たちは「えー!」と...
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「宇野ヘディング事件」星野仙一さんがクラブを叩きつけたのはエラーに怒ったわけではない
私が中日に入団した1981年8月26日、世紀のあのプレーに立ち会った。 場所は巨人の本拠地・後楽園球場。中日の先発は星野仙一さんだ。すでに晩年だったが、「巨人戦はテレビに映るから、みっともない試合はできん」と言って、この日も...
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ヤクルトにあって阪神にない「勝ちたいんや!」の執念…燕ナイン必死、虎ベンチはまるでお通夜
天国の闘将は怒声を上げているはずだ。 2003年、阪神を率いて2年目の星野仙一監督はキャンプ前夜、全員の前で「俺は勝ちたいんや!」と言った。野村監督時代は腐っていた今岡(真訪=現ロッテヘッドコーチ)は、人が変わったように声を...
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CS消滅で三木監督の去就白紙 楽天監督「平均任期2年」の害
CS進出を逃した楽天が揺れている。 石井GMが4日、三木監督の去就について、「複数年契約ということもあり、来年も監督をお願いするか、または他のポストを用意するかは、シーズンが終わっていないので、これから検討していく段階」とコ...
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阪神フロントが「落合監督」を招聘することは絶対にない
「かつて野村克也、星野仙一がしたように、今の阪神は抜本的に改革するしかない。中日監督として常勝球団をつくった落合博満を呼び、チームの病巣にメスを入れるべき」 コロナ禍に揺れる阪神周辺で「落合待望論」が出ている。関西のテレビ番組...
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“電鉄のおもちゃ”元凶は星野仙一氏が看破した親会社の体質
阪神タイガースの親会社である阪神電鉄は、本業が鉄道事業だけに何より安全第一。タイガースの選手がわずか半年の間に2度も集団でコロナに感染、しかも合コンやルール破りの会食が原因という事実は、親会社にとって大きなダメージに違いないが、自業...
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原監督はG史上最多の1067勝 なぜ他からオファーがない?
巨人の原辰徳監督が9月11日の広島戦で監督通算1067勝(798敗)を挙げた。これは川上哲治監督(故人)を抜いて球団史上最多。プロ野球史上でも歴代11位である。 原監督が初めて巨人の指揮を執ったのは2002年(~03年)。0...
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敵同士が試合中にジャンケン…星野監督なら即2軍落ち通告
信じられない光景だった。 7月26日のソフトバンク対日ハム戦の4回裏のことだ。内野安打で出塁したソフトバンクの川島慶三内野手が2塁盗塁を試みたものの、あえなくタッチアウト。この判定にソフトバンクの工藤公康監督がリクエストを要...
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新型コロナで乱闘禁止の大リーグ…闘将・星野氏は何を思う
米大リーグ(MLB)のレギュラーシーズンが3週間後に始まる。 23日か24日に開幕し、60試合とする方針だ。新型コロナウイルスの感染拡大によって当初開幕予定だった3月26日から4カ月遅れとなったものの、日本の大リーグファンに...
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野村阪神と2人の「TSUYOSHI」プロ野球の黒歴史に3つの事件
今年2月に逝去した野村克也氏は晩年に受けたインタビューの中で「阪神の監督時代は汚点だった」と語ることが多かった。確かに選手・監督として偉大な成績を残した故人にとっては、阪神監督時代(99~01年)に記録した3年連続最下位は大きな屈辱...