怖さは中京がダントツでも野球は享栄が圧倒的 近藤真一の球、特にカーブには手も足も出なかった
「寄るな享栄、触るな名電、中京見たら110番」
地元・愛知県の野球強豪校は「愛知私学4強」と言われ、気性の荒さで周囲から恐れられていた。最も怖かった中京は試合前からケンカが始まるような状態。野球どころではなかった。
その中京は1995年に「中京大中京」と名前を変え、中身もすっかり変わった。受験偏差値は高くなり、通知表は「オール4」でも入れない進学校だ。
俺らの時代は男子校だったが、98年に男女共学になり、2009年には進学コースをつくる大改革。だから現役の子たちはもちろん、進学校になってからの中京大中京出身選手はみな優等生なのだ。
嶋基宏(現中日ヘッドコーチ)もそのひとりだ。中学時代の通知表は「オール5」で、その成績表を見た野村(克也)さんがルーキーだった嶋の一軍起用を即決した頭脳の持ち主。そもそも中京進学も、プロになるためではなく、系列の中京大で体育の教員免許を取って教師になるためだったとか。
その嶋が楽天時代、ベンチで野村監督に説教されてシュンとしている様子を目にしたとき、俺は嶋を呼びつけてこう言った。
「おまえ、中京魂のカケラもねえな! 俺らのときは中京でそんなんしとったら、生きて帰れんぞ」
ところが、言われた嶋はポカーン。
「何ですか、それ?」
そりゃあそうだ。嶋は“お利口さん”な中京しか知らないのだから。
怖さは中京がダントツだったが、野球の実力は近藤真一(のちに真市=現・岐阜聖徳学園大学野球部監督)率いる享栄が圧倒的だった。
1年生だった1984年秋、享栄とのリーグ戦で真一を打ち崩すことができず、名電はボロ負け。コールド負けを喫した。中村豪監督はカンカンに怒り、選手寮に帰った後、全員に招集がかかった。
「おまえら、ちょっとグラウンドに出てこい」
選手が集合すると、監督はこう言い放った。
「おまえら、俺がいいって言うまで走っとけ」
そこから外野のポール間をひたすらダッシュ。結果的に3時間も走らされ、「真一のせいで……」と恨むしかなかった。
真一の球は一級品。特にカーブには手も足も出なかった。「打てるわけねえ」と思いつつ、地元の大スターと対戦できるのは楽しみだった。「真一から本塁打を打てば、自分の評価が上がる」という思惑もあったからだ。
2年の夏、85年の県大会準々決勝で享栄と当たったときも、先発は真一だった。俺は名電のベンチメンバーの中で唯一の2年。このとき7番を打っていたが、享栄の柴垣旭延監督が真一に「7番だけは
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