「俺の前にランナーをためるための練習を一生懸命せえよ」 俺は名電史上最悪の主将だった
1985年、2年秋のキャプテン就任早々、ピンチが訪れる。今でも夏の地方大会で全国最多の出場校数を誇る愛知県。当時は神奈川県に次ぐ激戦区で、県大会出場権を獲得するためのリーグ戦(名古屋地区予選)があった。
その2次リーグで八回裏まで3点ビハインドで敗退の危機に直面。尾張地区が誇る「私学4強」の一角として負けるわけにはいかない試合で、崖っぷちに立たされた。
ベンチの中村豪監督はすでにカンカン。
「おまえら、このまま負けたら(チームは)解散だ! 許さんぞ!」
そんな中、一発出れば逆転という満塁の場面で、俺に打席が回ってきた。ベンチもただならぬ雰囲気。ネクストにいた同級生が俺に駆け寄り、泣きついてきた。
「頼むから打ってくれ!ここで負けたら冬が長いぞ! 俺たち死んじゃうよ」
名電が県大会にも出られないなんてことがあれば、名門校の名前に傷がついてしまう。中村監督の顔に泥を塗ることにもなる。


















