ゴルフは本当に面白い!
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なみきさん(2)あまりの“ド素人ぶり”でスタッフさん、視聴者さんに心配をかけました
UUUMに入社して固定給がいただけるということで、親は結構賛同してくれました。1人暮らしをしなきゃいけませんしね。 でも、会社員として働くこともゴルフも初めてのことばかりでメンタルをやられて…
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なみきさん(1)タカラジェンヌ目指した「就活アイドル」が未経験のゴルフ番組MCに
生まれも育ちも兵庫県の宝塚です。音楽が大好きで、小4から歌劇団を目指すための養成所に入り、中学3年生までの6年間、毎週日曜日は稽古に励んでいました。 小さい頃からずっとピアノをやっていて、中…
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徳光正行さん(4)政治家のようなブサイクな打ち方でゴルフをしたくないとレッスンに通っています
父親と同じ年代の永田町の政治家たちはパンチショットのような、ブサイクな打ち方でゴルフをしていましたよね。変な格好で打っているのをニュースで見て「スポーツじゃねえだろ、こんなの」と思ってました。 …
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徳光正行さん(3)プロ野球選手のゴルフは本当にすごい。巨人の二岡智宏さんなんて…
茨城県の大利根CCで行われた昨年9月の日本女子オープンゴルフ選手権。一応、僕はこの名門コースの平日会員なんで、タダで見に行きました。 改めてグリーンもフェアウエーも素晴らしいと思いました。も…
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徳光正行さん(2)2度目のスーパーショットになるはずが…「ホールイン1.5」とはさてなんだ?
前回は徳光家3代続けてのホールインワンについて触れましたが、今回は「ホールイン1.5」というお話を。それはホールインワンを達成したのと同じ、久邇カントリークラブ(埼玉)のパー3で起きました。 …
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徳光正行さん(1)親父は口うるさくて、「やってられない!」と一度はゴルフをやめたんです
ゴルフを始めたきっかけは、完全に親父(フリーアナウンサーの徳光和夫さん)ですね。20代で大学を出てすぐの頃、「よし、おまえもゴルフをやってみるか」と言われたのが最初です。 親父からお下がりの…
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山内鈴蘭さん(4)スタッフさんが泣き出して…テレビ番組の企画でホールインワンに挑戦した顛末
ベストスコアはレギュラーティーからが75、レディースティーからは72です。コースはスターツ笠間(茨城)です。10代で240ヤード飛ばしていた頃に比べ、今は210くらいまで落ちています。まだ年齢的(1…
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山内鈴蘭さん(3)初出場のプロアマでは泣きながらプレー。救ってくれたのは倉本昌弘プロでした
AKBのお仕事が忙しくなって、ゴルフから遠ざかってしまいました。月に1回、行けるか行けないか。そんな中、お仕事とゴルフがつながるきっかけになったのが、2011年の「とおとうみ浜松オープン」でした。浜…
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山内鈴蘭さん(2)AKBに入った理由は、初出場した競技ゴルフで大きな挫折を味わったからでした
幼い頃、父から「死に物狂いで何かを目指してみろ」と言われました。その「何か」は、やっぱりゴルフ。これしかやったことがなかったし、父が大好きなゴルフ以外、考えられませんでした。 だから、小学6…
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山内鈴蘭さん(1)9歳で本格的に練習開始。初めて50ヤード飛んだ夜は両親が赤飯を炊いてくれました
ゴルフ場デビューは2歳でした。ゴルフが大好きな両親に、ゴルフができない私もついていったのが最初です。5歳の頃には家の中で、プラスチック製のクラブを使ったスナッグゴルフをよくしていました。本格的に7番…
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さとう宗幸さん(4)「競技ゴルフと仕事でステージに立つのとどちらが緊張するか?そりゃ…」
競技ゴルフは今もかなり難しいですね。最初のクラブ競技から1つ上のゴルフ連盟の競技に出るようになったのは40歳過ぎてからでした。年6試合ぐらいある連盟の研修会の前に宮城県アマチュア選手権に出たのが最初…
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さとう宗幸さん(3)東北福祉大時代の松山英樹選手と一緒にラウンドしたこともあります
僕がゴルフに夢中になった30代の半ばはバブルのちょっと前。男子ツアーの「仙台放送クラシック」とご縁ができて、大会のラウンドリポーターなどもやりました。 マスターズ中継の冒頭に流れる奇麗なカン…
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さとう宗幸さん(2)今よりずっと厳しかったシングルへの道 「9」になった時は本当に嬉しかった
ハンディが減ったのは32歳、33歳の頃。「青葉城恋唄」のデビューから4年くらい経って、TBSの「2年B組仙八先生」というドラマをやった年からですね。 あの頃、TBSのスタジオは赤坂にあって、…
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さとう宗幸さん(1)「青葉城恋唄」の1年後、仙台のゴルフ倶楽部のメンバーになってハマっていった
ゴルフを始めたのは、今から48年前の1977年。「青葉城恋唄」とめぐり合う1年前です。その頃は知人のお店で歌わせてもらって、家族が食べていける分だけ稼げれば、という生活でした。 夜の仕事が多…
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森末慎二さん(4)今も20年前のクラブでプレー ゴルフは道具じゃないと思っています
試合でキャディーをした圭ちゃん(深堀圭一郎)やマル(丸山茂樹)の他にも、プロゴルファーとのご縁があります。日体大の2つ先輩の室田淳さんは、試合じゃないと「うわー、今日はゴルフだ。仕事じゃない!」なん…
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森末慎二さん(3)思わず口を衝いた一言が、「森末効果!」とスポーツ紙に大きく扱われました
ガン撲滅東西対抗(ガン撲滅基金 高松宮妃賜杯争奪 ゴルフ東西対抗競技大会)も印象に残っています。1994年にスタートし、2006年まで続いた大会です。 東京の若洲ゴルフリンクスで開催された0…
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森末慎二さん(2)ハンディ3までいったものの…自己流の限界、イップスの発症
千葉県の袖ケ浦CCで研修会に入り、さらに腕を磨いたのですが、ここで一つ後悔があります。 私は最初からずっとゴルフはすべて独学。レッスンプロに習っておけばよかったなと今になって思うのです。 …
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森末慎二さん(1)前の組のおじさんのジョークにカチンときて、1年でシングルになりました
ゴルフを始めたのは、大学(日体大)を卒業して社会人になってからです。紀陽銀行で体操競技をしていたのですが、10月の全日本体操選手権が終わるとオフに入ります。本店にあいさつした後、白浜(和歌山県)の保…
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川淵三郎さん(4)人生唯一のホールインワンは28年ぶり五輪出場をかけたあの「運命の一戦」の当日でした
1990年のイタリアW杯の時に、ローマのゴルフ場でプレーしました。そこはすり鉢の底のような地形にレイアウトされた、絵に描かれたような美しい超名門ゴルフ場でした。 ところが、前の組がとにかくプ…
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川淵三郎さん(3)古河電工の営業マンとして名古屋に転勤、そこで一番「嬉しかったこと」は…
本格的にゴルフを始めたのは、サッカー選手としての現役を引退し、「古河電工の営業としてしっかり働け」と言われた40歳過ぎ。その後、名古屋支店の金属営業部長になるんですが、ゴルフ環境は東京より格段に良く…