五木寛之 流されゆく日々
-
連載9900回 聖徳太子信仰のルーツ <5>
(昨日のつづき) 聖徳太子にかぎらず、歴史上の人物については、あまりにもわからない事が多すぎる。 歴史的事実とされているものの大半は、物語と伝説なのではないか、と私は疑っているのだ。 古代…
-
連載9899回 聖徳太子信仰のルーツ <4>
(昨日のつづき) この年になって、つくづく感じるのは、世の中にはなんと知らない事が多いかということだ。小学生の頃から、かなり沢山の本を読んできた。学校でいろんな事を学んだ。人の話もきいてきた。 …
-
連載9898回 聖徳太子信仰のルーツ <3>
(昨日のつづき) 二上山を抜けて、河内と大和をつなぐルートは、古代からいくつもあったと考えられる。 その一つが竹内街道だ。 聖徳太子ゆかりの地とされているが、かつては乞食街道と呼ばれたこと…
-
連載9897回 聖徳太子信仰のルーツ <2>
(昨日のつづき) 聖徳太子、といえば、一般の人はなにを連想するだろうか。 法隆寺とか、十七條憲法とかいうより先に、まず思い浮かべるのは、お札のポートレイトだろう。その著書といわれる『三経義疏』…
-
連載9896回 聖徳太子信仰のルーツ <1>
親鸞は生涯、聖徳太子を尊崇していた。そのことで、しばしば質問を受けることがある。 「聖徳太子のどこに親鸞はあれほど惹かれたんでしょうか」 と、たずねる人が多いのだ。 「さあ」 私もその事…
-
連載9895回 サクラ咲く季節の中で <5>
(昨日のつづき) きょうタクシーに乗ったら、えらく話好きのドライバーだった。 「さっきオークラから赤坂のほうに抜ける道を通ってきたんですけどね、桜がきれいでしたよ。2、3日後には満開になるんでし…
-
連載9894回 サクラ咲く季節の中で <4>
(昨日のつづき) 昔話になる。 1950年代の話だ。1952年、つまり昭和27年の春に、私は九州から上京した。はじめての東京である。西も東もわからぬままに、すぐさまアルバイト生活がはじまった。…
-
連載9393回 サクラ咲く季節の中で <3>
(昨日のつづき) 桜を見ると浮き浮きする、という人がいる。反対に、 「なんとなくウツになるんだよなあ」 と、いう人もいる。それぞれに実感がこもっているからおもしろい。 夜、桜の名所のあた…
-
連載9892回 サクラ咲く季節の中で <2>
(昨日のつづき) 昔、大学入試の発表を、その地の友人や知人に頼んで、当日、見にいってもらうことがあった。 地方から東京や、その他の都市の大学を受験したときなどが、そうである。 もし幸いに合…
-
連載9891回 サクラ咲く季節の中で <1>
暖かい日が何日か続いたかと思うと、また冬にあともどりしたかのように寒さがぶり返す。 厚手のジャケットを片付けようとするが、こう気温が上下するのでは対処しようがない。 テレビは連日、桜のニュー…
-
連載9890回 伝説と物語の値うち <4>
(昨日のつづき) 目に見えないものの力。 物語と伝説の力とは、まさしくそういうものではないのか。 私たちは、数字とか、統計とかを頼りに物を考える傾向がある。しかし、それは決して現実的ではな…
-
連載9889回 伝説と物語の値うち <3>
(昨日のつづき) 私たちがモノの対価として支払う金銭は、必ずしも品質に対してだけではない。 むかし雑誌でフランソワーズ・サガンと対談をしたことがあった。対談とは名ばかりで、有能なフランス語の通…
-
連載9888回 伝説と物語の値うち <2>
(昨日のつづき) 先日、金沢へいってきた。東京─金沢、2時間半という新幹線は、なるほど便利だ。 これでは日帰りも不可能ではないだろう。ただし、金沢で一泊というのを楽しみにしている風流人には、残…
-
連載9887回 伝説と物語の値うち <1>
若い世代が、あまり車を欲しがらないという。ひと昔まえは、湘南海岸をオープンカーで走りながらボサノヴァの音楽をかけるとか、そういうのが恰好よかった時代もあった。 車が必要ならシェアリングすれば…
-
連載9886回 自分自身のための広告─『はじめての親鸞』─ <5>
(昨日のつづき) きょうは取材インターヴューが重なって、思いきり時間オーバーしてしまった。最初に予定していた時間が2倍、3倍に超過してしまうのは、毎度のことである。 最初は、雑誌のための親鸞に…
-
連載9885回 自分自身のための広告─『はじめての親鸞』─ <4>
(昨日のつづき) 親鸞について、かねてから考えてみたかった点がいくつかある。 一つは、「朝家のおんため」に念仏するのもよかろう、という発言である。この言葉をめぐっては、さまざまな意見が交錯して…
-
連載9884回 自分自身のための広告─『はじめての親鸞』─ <3>
(昨日のつづき) 今回の新書は、あくまでもタイトル通りの「はじめての親鸞」である。そもそも、親鸞を論ずるということ自体が、無理な仕事のような気がするのだ。 歴史というものが、作られるものである…
-
連載9883回 自分自身のための広告─『はじめての親鸞』─ <2>
(昨日のつづき) こんど出た『はじめての親鸞』は、新書で180ページあまりのコンパクトな本です。 「やさしく、深く、面白い」 というオビの文句に、著者としてはいささか照れるところなきにしもあ…
-
連載9882回 自分自身のための広告─『はじめての親鸞』─ <1>
今週、新潮新書で、『はじめての親鸞』という本が出る。 これは昨年、新潮社で行った「新潮講座・親鸞をめぐる雑話・全三回」の話をまとめたものだ。新潮講座は佐藤優さんの『資本論講義』など、かなりレベル…
-
連載9881回 金は天下の回りものか <5>
(昨日のつづき) 最近の雑誌を見ていると、経済の予想に関する記事がべらぼうに多い。マイナス金利で庶民の生活はこうなる、老後破産にどうそなえるか、などなど。 しかし、不思議なことに、世の中の先行…