「もう野球やめたる!」…俺は高卒1年目の森野将彦に“泣かされた”
1996年に本塁打王を獲得。オフはプロ野球人生で初めて、「キング」として見られる日々が続いた。地方遠征の試合に行けば、学生やアルバイトの子たちが興味本位でバッティング練習をのぞきに来た。
「しっかりやらなあかんな……」と思いを巡らせ、不安と焦りを払拭するようにバットを振っていた。表面上は本塁打王らしい堂々とした振る舞いをしていたつもりだったが、「ヤバい……」と思う新人が入ってきた。
96年ドラフト2位の森野将彦(東海大相模=前中日コーチ)だ。バットを持って構えたとき、というより、何げなくバットを持って遊んでいるときの雰囲気とシルエットに「こいつはすげえぞ」とピンときた。案の定、バッティング練習を見て「すぐに一軍で活躍するな」と思ったものだ。
これまで俺が「1年目から活躍する天才」と思ったのは、この森野と2011年ドラフト1位の高橋周平(東海大甲府)の2人だけ。95年ドラフト1位の荒木雅博(熊本工)は逆に大丈夫かなと思ったけど(笑)。
森野には一度「泣かされた」ことがある。なかなか調子が上がらなかった97年7月、6番でスタメン出場していた試合の後半だった。イニングの先頭打者としてネクストバッターズサークルでバットを振ろうとすると、「6番山﨑に代わりまして、代打……」のコール。「え!?」と思わずベンチを振り返ると、バットを持って出てくる森野の姿があった。前年の本塁打王である俺の代打が高卒1年生。これほどの屈辱はない。森野もきっとバツが悪かったに違いない。


















