五木寛之 流されゆく日々
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連載9875回 記憶のフィルムを廻して <4>
(昨日のつづき) 何度も書くので気が引けるが、短期記憶が曖昧なのに長期記憶が鮮明なのは、どういうわけだろう。 きのうの事が、なかなか思い出せないかわりに、50年前の記憶が鮮やかによみがえってく…
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連載9874回 記憶のフィルムを廻して <3>
(昨日のつづき) 昨日は午後、朝日新聞社の催しで講演をやり、終了後に講談社の吉川英治文学賞の選考会に出た。選考終了後に、北方謙三さんから日本刀の話をきいた。途中から話にくわわられた平岩弓枝さんが、…
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連載9873回 記憶のフィルムを廻して<2>
(昨日のつづき) 小学生の頃に愛読したマンガは、『のらくろ』と、『冒険ダン吉』である。正確なタイトルは憶えていないけれども、両方とも仲間の誰もが夢中になっていた。 ほかに佐々木邦のユーモア小説…
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連載9872回 記憶のフィルムを廻して <1>
小学生のころ、(といっても途中で国民学校と名前が変るのだが)、武侠小説と呼ばれるジャンルの少年読物を愛読していた。 その代表的な作家が、山中峯太郎である。80歳以上のかたがたには、懐しい名前では…
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連載9871回 人は死後どこへいくか <5>
(昨日のつづき) 死という問題を真剣に考えるようになるのは、人生の後半、それも野球でいうなら八回、九回のあたりだろう。 自分自身が試合のクローザーにならなければならないのである。こればかりは他…
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連載9870回 人は死後どこへ行くのか <4>
(昨日のつづき) 私はこれまでに何度か死を意識したことがある。 中学1年のころ、少年兵に志願しようかと考えた。少年戦車兵とか、予科練とか、いろいろあった。幼年学校へは、中学1年生からでも行けた…
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連載9869回 人は死後どこへいくか <3>
(昨日のつづき) 昔、天国を茶化した歌があった。 〽オラは死んぢまっただ ではじまる酔っぱらいの歌である。 〽天国よいとこ 一度はおいで 酒はうまいし ネエちゃんはきれいだ とか、…
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連載9868回 人は死後どこへいくか <2>
(昨日のつづき) 死を意識した人間は、変る。死の淵をのぞいた者は、その深淵からのぞき返される。有名なニイチェの言葉を、高橋三千綱の新刊『ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病』(幻冬舎刊)を読んで痛切に…
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連載9867回 人は死後どこへいくか <1>
小学生が事件にまきこまれて亡くなったり、自殺したりすることがある。すると学校で追悼の集会があり、校長先生が沈鬱な表情でスピーチをするのが例である。そこでは、 「天国にいったダレダレ君は──」 …
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連載9866回 痛みとどうつき合うか <5>
(昨日のつづき) さて、私自身の左脚の痛みだが、このところ一向に軽減しそうにない。 寒い日には、ことに痛む。普通の歩幅で歩くこともままならず、そろそろと動いている。 自分でも不思議でしかた…
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連載9865回 痛みとどうつき合うか <4>
(昨日のつづき) 生きる苦しみ、などと言う。 たしかに世の中に生きていくことは、苦しい。人はみな苦労を抱えながら生きている。 しかし、「生病老死」の苦の本質は、痛みという現象につきるような…
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連載9864回 痛みとどうつき合うか <3>
(昨日のつづき) 人は健康を望む。病いをおそれる。 それはなぜか。 他人のことは判らないが、私に関していえば、ひとえに痛みがイヤだからである。要するに病気よりも、苦痛が問題なのだ。 も…
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連載9863回 痛みとどうつき合うか <2>
(昨日のつづき) 日本人男性の平均寿命は、全国平均で79.59歳であるという。まあ、80歳前後といったところか。 かなり元気な人でも、70歳をすぎたあたりから、いろんな所にガタがでてくる。それ…
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連載9862回 痛みとどうつき合うか <1>
左下肢の痛みで、この3年間ずっと悩んでいる。下肢といっても、膝ではない。 年をとると、かなり多くの人が膝の痛みを体験するらしい。長年の酷使で、半月板がすりへったり、関節軟骨に異状がでてきたりする…
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連載9861回 喫茶店とカフェの間には <4>
(前回のつづき) 野坂昭如のうたった『黒の舟唄』は、 〽男と女の間には 深くて暗い河がある とはじまる。喫茶店とカフェの間にも、深くて暗い河があるような気がしてならない。 「古い時代は良…
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連載9860回 喫茶店とカフェの間には <3>
(昨日のつづき) 中野にあった「クラシック」という喫茶店のことは、これまで繰り返し書いてきた。私の初めての雑文集『風に吹かれて』にも、「K」という店名で出てくる。クラシックなら「K」じゃなくて「C…
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連載9859回 喫茶店とカフェの間には <2>
(昨日のつづき) むかし流行った歌で、 〽小さな喫茶店に はいった時の二人は という、この国の歌謡曲にはめずらしい明かるい歌があった。 〽お茶とお菓子を前にして ひとことも喋らず …
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連載9858回 喫茶店とカフェの間には <1>
喫茶店という言葉も、今ではほとんど死語と化してしまった感がある。 そのかわりにカフェが全国津々浦々に族生している。どんな地方の町にいっても、必ず一軒か二軒のカフェはある。スターバックスのような店…
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連載9857回 八十過ぎて知ったこと <5>
(昨日のつづき) 野口晴哉という思想家がいた。世間では整体の偉い先生で通っていたようだが、私から見ると哲学者というか、ユニークな思想家だった。『風邪の効用』(ちくま文庫)などおもしろい著作が何冊も…
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連載9856回 八十過ぎて知ったこと <4>
(昨日のつづき) 50歳を過ぎたら、知識のインプットは必要ないという説がある。もっぱら出すほうを意識せよ、というのだ。 一理ある考え方だと、納得した。しかし、よく考えてみると、出しっぱなしにし…
