五木寛之 流されゆく日々
-
連載9829回 さらば幻想の時代よ <1>
街には師走の風が吹く。 年を重ねるにつれ、一年が早く過ぎるように感じる、とはよく言われる話だ。 しかし、私にとって今年一年は、決して急速に過ぎた一年ではなかった。 今年は、かなり中身のつ…
-
連載9828回 野坂昭如ノーリターン <6>
(昨日のつづき) 小説の世界には、いろんな新人賞があるが、「小説現代新人賞」というのも、その一つだ。 私はこの新人賞に応募し、幸運にも入選して職業作家としてのスタートを切った。その意味では足を…
-
連載9827回 野坂昭如ノーリターン <5>
(昨日のつづき) 戦後70年というけど、敗戦後の二、三十年は、戦前レジームの延長だったと思う。 文芸ジャーナリズムにしてもそうだった。文学界も、エンターテインメントの分野も、戦前、戦中の大家が…
-
連載9826回 野坂昭如ノーリターン <4>
(昨日のつづき) 『対論』は、文庫でも出ているが、ほとんど手に入らない古い本だ。今後もたぶん若い読者が目にする機会はないと思うので、もう少し野坂昭如の発言を引用しておこう。 野坂 ぼくは金がな…
-
連載9825回 野坂昭如ノーリターン <3>
(昨日のつづき) 1971年の夏、一冊の対談集を出した。私と野坂昭如の連続対談のシリーズである。雑誌「話の特集」に連載したものを『対論』と名づけて講談社から出版されたのである。当時の定価390円と…
-
連載9824回 野坂昭如ノーリターン <2>
(前回のつづき) この『流されゆく日々』の70年代のアンソロジーが双葉文庫からでている。最初のシリーズは、75年から79年までを抄出して全6巻にまとめられているのだが、巻末に主な登場人物の名前のリ…
-
連載9823回 野坂昭如ノーリターン <1>
本当は今日は『後部座席からの眺め』の最終回を書く予定だった。しかし、電話で野坂昭如さんの訃報を知らされたので、とりあえずその事を書く。 野坂さんと私は、ほぼ同じ時期に直木賞をもらった昭和ヒトケタ…
-
連載9822回 後部座席からの眺め <4>
(昨日のつづき) 車内から外を眺めていると、世界の見え方が変る。 たとえば、バイクや自転車との関係だ。車内から観察すると、どれほど二輪車が危険にさらされているかが、手にとるようにわかるのだ。 …
-
連載9821回 後部座席からの眺め <3>
(昨日のつづき) そもそも左折右折の信号というものは、曲るずっと手前から出すべきである。前の車の進行が予測できないのでは、市内の混雑の中で運転のしようがない。曲りはじめて、ついでに信号を出すのはい…
-
連載9820回 後部座席からの眺め <2>
(昨日のつづき) 車間距離をとって走るのは、安全運転の基本である。前の車がいつ急ブレーキをかけるかわからないからだ。こちらが素早く反応して追突をまぬがれたとしても、背後の車が突っこんでくるおそれも…
-
連載9819回 後部座席からの眺め <1>
60代半ばで車の運転をやめてから、すでにかなりの年月が過ぎた。車というのは、ある意味でセクシャルなものかもしれない。ハンドルを握らなくなること、イコール男性を卒業すること、みたいな感覚があるのだ。 …
-
連載9818回 網走は今日も雪だった <5>
(昨日のつづき) 「千所千泊」などと大袈裟な計画を立てて、全国各地を回り歩きはじめてから、すでに相当な年月がたった。たぶん、千カ所はすでに達成しているのではあるまいか。見知らぬ街や村を訪ねて一泊する…
-
連載9817回 網走は今日も雪だった <4>
(昨日のつづき) 網走から帰ってきて、すぐに昔の資料を探してみた。講談社刊『流されゆく日々(抄)』の1988年から1995年までの項である。 目次をめくると、すぐに「網走セントラルホテル」とい…
-
連載9816回 網走は今日も雪だった <3>
(昨日のつづき) 一夜明けて、気になる天候はなんとかもちそうな感じだ。昨夜のテレビの天気予報では、手強い低気圧が列島に迫り、各地は大荒れの気象になりそうとのことだった。はたして飛行機がちゃんと飛ぶ…
-
連載9815回 網走は今日も雪だった <2>
(昨日のつづき) 夕方、講演の前に、しばらくホテル周辺を歩く。雪で靴が滑って、何度も転びそうになった。 地元の人たちは、たぶん滑りにくいソールの靴をはいているのだろう。雪道を身軽に歩いているが…
-
連載9814回 網走は今日も雪だった <1>
網走へいってきた。 羽田空港を出発するときは、おだやかな天候だった。風は多少冷めたいが、着ていたコートが邪魔なくらいの温度だった。 前の晩、ほとんど寝ていない。搭乗してまもなく眠りこんで…