五木寛之 流されゆく日々
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連載11586回 メンドクサイで生きている <4>
(昨日のつづき) WBCをテレビ観戦するので、この数日間、朝食抜きの生活が続いた。 マンガをはるかにこえる超エンタメ・ドラマみたいで、観ていて恐れ入ったというのが正直な感想だ。 どんなにア…
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連載11585回 メンドクサイで生きている <3>
(昨日のつづき) モノを片付けるのが苦手だ。 大事なモノを分別し、整理して保存する、なんてことは絶対にできない。 机の上は地震のあとのように混乱している。洋服も、靴も、なにもかも部屋の壁際…
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連載11584回 メンドクサイで生きている <2>
(前回のつづき) 早期発見、早期治療、というのは健康の常識である。 どんな疾患でも事前の予兆というのはあるものだ。それを素直に受けとって、すぐに専門医に診てもらうことは、今や常識といっていい。…
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連載11583回 メンドクサイで生きている <1>
「めんどくさい」と、私はふだん言う。 「そんなこと、めんどくさくて出来るか」 というのが私の若い頃からの口ぐせである。 気になったので面倒なのをこらえて辞書を引いてみた。 <面倒臭い>(め…
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連載11582回 この春、必買の二冊
このところ新書の刊行が続く。 新潮社から『うらやましいボケかた』。 幻冬舎からは『シン・養生論』。 『うらやましいボケかた』とは妙な題名だと感じるむきも多いことだろう。高齢世代共通の不安で…
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連載11581回 常時と非常時 <8>
(昨日のつづき) 常時と非常時は、はたして対立する概念だろうか。 考えてみると人間の一生というものは、常に非常時の連続のようにも思われる。安定した平穏な時期などないからである。 ガンも、認…
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連載11580回 常時と非常時 <7>
(昨日のつづき) チリの社会主義政権に対するピノチェット将軍の軍事クーデターが成功した背後に、米国のバックアップがあったことは公然の事実だ。 サンティアゴの街は、反乱軍の戦車がキャタピラーの音…
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連載11579回 常時と非常時 <6>
(昨日のつづき) ワルシャワ条約軍がはいったプラハは、さながら戒厳令下の様相を呈していた。深夜までキャタピラーの轟音をたててソ連軍の戦車が走り、銃をかまえた兵士たちが街の各所でパトロールしていた。…
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連載11578回 常時と非常時 <5>
(先週のつづき) いわゆる『パリ五月革命』のさなかの左岸は、連日のようにデモ隊と機動隊との衝突がくり返され、あたかも戦場のようだった。 警察とちがって植民地から送りこまれたパラシューチストは戦…
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連載11577回 常時と非常時 <4>
(昨日のつづき) これまでに非常事態の国々に出かけたことが何度もあった。 出かけた、というと、なんだかそれを期待して行ったみたいだが、そうではない。ほとんどが行った場所で予期しない事態がおこっ…
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連載11576回 常時と非常時 <3>
(昨日のつづき) 年寄りが嫌われる理由が3つあるという。 1つは<むかし話>をする。 2つ目が<孫自慢>が長い。 3つ目が<病気の話>が多い。 まあ、大体こんなものだろう。私自身も…
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連載11575回 常時と非常時 <2>
(昨日のつづき) 非常時というのは、いわば戒厳令下にあるのと同じだ。そこでは平時のルールは通用しない。法律もそうだ。非常時、という規定とともに個人の人権も無視される。 それが非常時というものだ…
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連載11574回 常時と非常時 <1>
<非常時>という言葉は、かつて昭和の前期に激しく使われたものだった。 戦争の時代の一大流行語だったのである。 「この非常時に──」 と、町のリーダーや退役軍人たちが国民を叱る言葉である。 …
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連載11573回 『地図のない旅』の途上で <1>
エッセイと称するにはいささか品がなく、雑文と居直るにはパワーがたりない、そんな文章を半世紀以上も書いてきた。 取り柄といえば長く続いているくらいのものだろう。いま流行りの言葉でいえばレジリエンス…
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連載11572回 わが耳学問の師たち <3>
(前回のつづき) ターキー、こと水の江滝子さんが浅草のSKDにいた頃の国際劇場の黄金時代を私は知らない。 しかし、1950年代の後半、私は国際劇場では顔パスで劇場の食堂まで利用できる仕事をして…
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連載11571回 わが耳学問の師たち <2>
(前回のつづき) 往年のSKDの大スター、その後は日活映画などの敏腕プロデューサーとして活躍していた水の江さんから、直接の電話である。 はて、なにごとだろうかと、あれこれ考えた。デビューしてま…
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第11570回 わが耳学問の師たち <1>
私は若い頃からちゃんとした学問をしたことがなかった。大学も途中でやめたし、卒業論文も書いていない。 いや、卒業論文は何箇も書いている。ただし自分のためのものではなく、アルバイトで他人の卒論を引き…
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第11569回 『耳順』はアブない? <6>
(前回のつづき) 耳についで大事なのは、目である。さいわいにして健康な視力にめぐまれた人は、その視力がおとろえないように努力しなくてはならない。 活字を読むのは私の仕事なので、目に関しては長年…
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連載11568回 「耳順」はアブない? <5>
(前回のつづき) 耳を手でこする。子供の遊びみたいな話だと苦笑するかたもいらっしゃるだろう。そう、たしかに遊びのような話ではある。だから私はこれまで、そんな我流の工夫を人に話したことがなかった。エ…
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連載11567回 『耳順』はアブない? <4>
(前回のつづき) 聴力のトレーニングについていろいろ書いたが、これはあくまで私個人の<エビデンスなき養生法>である。 <エビデンス>、つまり科学的、医学的根拠なき独断的手法なのであって、当るも八…